新しい年が豊かに祝福されますように

宇田慧吾牧師

 2020年を迎えました。皆さんは新しい年をどのような気持ちで迎えているでしょうか。私は昨年を振り返りながら、感謝すること、反省すること、今年はもっとがんばろうと思うこと、あれこれ思いめぐらせています。

☆「丹波新生教会に導かれたことに感謝」

 祈りをもって未熟な私を支えてくださる方々、友となれた仲間、信仰者としての生き方を示してくださる先輩方、皆さんにお出会いできて本当に感謝しています。いつも皆さんに支えられ、教えられながらすごしています。

☆「宇田先生=忙しい」

 ふらっと園部会堂に寄ってくれた方が「宇田先生=忙しい」というイメージと仰られました。昨年の中頃は積極的に活動しすぎた上に初めての育児が重なり、オーバーワークになってしまいました。意識してブレーキを踏み、だいぶ落ち着きました。最近は家族との時間も大切に過ごすことができ感謝です。

☆「NPO法人そのべる、順調に活動しています」

近況としては『なんたんええ活動団体大賞』を受賞しました(副賞10万円!)。地域や学校、行政の方たちに支えられ、たくさんの出会いをいただいています。

☆「一信仰者として成長したい」 

昨年は苦しさや徒労感にさいなまれる時にも希望を見失うことなく忍耐し祈り続けることができました。一方で、他者に寄り添うことの難しさや自分の牧会の未熟さを痛感する一年でもありました。自分の力ではなく神さまへの信頼を深め、信仰者として成長していきたいと思います。

2020年1月5 日

《説教要旨》「わたしを遣わした方」ヨハネによる福音書7章25-31節

宇田慧吾牧師

 キリストはたくさんの誤解を受けました。誤解を受けた経験がないという人はいないと思います。善意で相手のためにしたつもりでも、怒りを買ってしまうということも時にはあります。キリストは愛に生きたにもかかわらず、真意を理解されず、人の怒りを買い、終いには十字架にかけられてしまいました。そんな中でキリストは「わたしを遣わした方」に心を向けていました。人に誤解されても、「わたしを遣わした方」と心が繋がっていたことが、キリストの支えであったようです。

 一部の人たちからは誤解を受けましたが、一方で「イエスを信じる者」もいたと書かれています。この人たちはどういう人たちだったのでしょうか。きっと、キリストに出会うことで、助けられた人たち、励まされた人たち、救われた人たちだったと思います。私たちも人生の中で与えられた出会いの中で、出会った全ての人に理解され愛されるということはなかなか難しいと思いますが、何人かでも出会うことができて良かったと互いに思えるような人がいたらそれは幸せなことだと思います。

 神さまは私たちを愛に生きる者としてこの世に遣わしました。愛に生きようとする時には、喜ばしい実りを結ぶ時もあれば、誤解やすれちがいに苦しむ時もあります。ただ、どのような時にも、私たちに命を与え、この世に遣わした神さまは、私たちと共にいて、私たちの涙も喜びも共にしてくれます。

2019年12月1日 園部会堂

《説教要旨》「一粒の麦」ヨハネによる福音書12章24-26節

宇田慧吾牧師

 ハブ茶の種を教会の庭に蒔きました。収穫期を迎え、子どもたちと一緒に実った鞘から種を取っています。小さな種なので時々「あっ」と床に落とします。

 キリストは「一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、一粒のままである。だが、死ねば多くの実を結ぶ」と言いました。この言葉は一見取るに足らない一粒の麦に生命力が秘められていることを私たちに思い出させます。この死後に多くの実を結ぶ生命力は人間にも秘められています。

 この教会に着任して1年目、重度の認知症ゆえ病院で寝たきりで過ごしている方を訪問することがありました。自分も高齢になれば、こういう日が来るのかなと考えながら病院を後にしたりします。その方は会話も不自由な状態でしたが「お祈りしましょう」と言うと、得意気に手を組んで最後は「アーメン」と唱和していました。逝去された後も時々その方のことが思い出されます。そして私を諭してくれます。健康について、人生の有限について、最後まで残るものについて。その方は認知症になることで自分が望むような生き方を手放したと思います。一方、手放した後も神さまに用いられる命を生き続けています。

 床に種を落としても、さほど気にならないように、生命力の神秘に鈍感であることができます。また、働き盛りや健康が「生き生き」であるように思い、病気や死を越えて用いられる永遠の命に私たちは鈍感であることができます。けれども、神さまはいつも変わることなく命の価値を定めています。高価で貴いものと定めています。最期には私たちも一粒の麦のように地に落ちます。そして多くの実を結びます。        

2019年11月3日 園部会堂

《説教要旨》「父は待っている」ルカによる福音書15章11-32節

宇田慧吾牧師

 今日は洗礼式があります。洗礼を受けるFさんに「洗礼の記念品は何がいいですか」と尋ねると、「友吉さんがなぜ洗礼を受けたのか知りたいので、その資料が欲しいです」と仰られました。友吉さんはFさんの曽祖父です。曽祖父の友吉さんが洗礼を受けられたことから、F家と教会の関わりが始まりました。

 結論から言うと、友吉さんがなぜ洗礼を受けたのかについてのはっきりとした資料は見つかりませんでした。ただ、友吉さんが1890年に洗礼を受けておられ、この年は丹波教会が創立された6年目であり、その時の牧師であった留岡幸助から洗礼を受けたということは資料から分かりました。これらのことから、当時の教会の様子や留岡幸助牧師の働きが、友吉さんの受洗理由にある程度関係しているのではないかと想像します。

 当時の教会の様子は今と比べれば特別なものでした。京都市内から同志社の学生や宣教師が歩いて伝道に来ていました。彼らの感化から洗礼を受けた村上太五平という人物は熱心な伝道活動をして「丹波教会の父」と称されました。彼は回心前は「酒豪と放蕩で知られていただけに彼の変化はそれ自体が説得力を持ち、キリスト者になる者が多かった」と記録されています。またこの時代、胡麻には丹波ヨブと呼ばれた野林格蔵がいました。彼はハンセン病患者として差別を受けましたが、信仰者である母から受け取った「格蔵、信仰だけは落とすなよ」の言葉を胸に最期まで信仰を貫かれました。また当時はキリスト者への迫害が激しく、胡麻会堂は発足直後に何者かの放火によって全焼しました。翌日、教会員一同で焼け跡を片付けている時、その中の一人が「犯人を告訴すべきだ」と発言したところ、他の会員たちは「それは違う。聖書に『敵を愛し、憎む者のために親切にせよ、呪う者を祝福し、辱める者のために祈れ』とある」と諭し、一同その場に座して祈りを捧げ、一層、強い信仰の絆に結ばれた、との記録があります。一か月後、会堂は再築され、献堂式が行われました。これらは友吉さんが洗礼を受けた当時の教会の様子の一端です。

 友吉さんに洗礼を授けた留岡幸助牧師は、日本の社会福祉の先駆者として著名な人物です。監獄で受刑者と関わる教誨師としての活動や、非行少年や保護者のいない少年と共同生活をして更生をはかる家庭学校を日本でいち早く始めました。丹波教会での在任期間は二年半と決して長い期間ではありませんでしたが、友吉さんの息子にあたるHさんは「丹波教会の歴史の中で牧師と信徒、信徒同士の深い交流があったのは留岡牧師の時代」と証言していたそうです。留岡幸助の牧師としての働きについては次のような記録があります。「講壇に立って、偉そうぶって説教をたれるような牧師ではなかった。民衆の心をつかむため、つねに彼らの中に分け入って行こうと心がける牧師であった」。「構えた姿勢でキリストの教えを説くのではなく、丹波の民衆の生活に密着した、幅広い日常的な実践を大切にしていた」。「彼の伝道にはいつも生活と汗のにおいがこもっていた」。留岡幸助が感化を与えた教会員の一例として、田中藤左衛門は、後に園部幼稚園や淇陽学校を創設し、初代園長、初代校長を務めました。

 留岡幸助自身は「人間の美しさ」について基督教新聞に次のような文章を書いています。「およそ人の本当の美しさというものは孤立した関係からは生まれない。夫婦という関係があって、夫婦の愛の美しさが生れる。親子の関係も、また友人にしても同じである。・・・およそ人のうちにあってもっとも美しいのは愛である。その愛の中でも聖霊を心に受けて、神の霊に触発された愛の人ほど美しいものはない。本当の人間の美しさとは、複雑な人間関係の中で育てられる愛であり、その愛が神の愛に覆われた時である」。
 この文章からは留岡自身が「人との関係」を大切にしており、その中でも特に「人間関係における複雑さの中で愛が育てられること」を大切にしていたことが受け取れます。

 友吉さんがなぜ洗礼を受けたのかについて、確実な理由は分かりません。ただ、今ご紹介した教会の様子の中で、また留岡幸助牧師との関わりの中で洗礼を受けたということは歴史上の事実です。そもそも、『なぜ』について私たちはいつも全部を知ることはできません。すべてをご存知なのは神さまだけです。友吉さんが洗礼を受けたのは、今日こうしてFさんが洗礼に導かれるためだったのかもしれませんよ。

 今日の聖書箇所は「放蕩息子のたとえ」でした。放蕩息子が父のもとを離れて、自由を謳歌していた時、息子は父のことを忘れていました。けれども、父は息子のことを忘れていませんでした。戻って来た息子を見つけると、走り寄って抱きしめました。父は息子を待っていました。
 Fさんは子どもの頃、園部の教会学校に通い、その後は教会を離れ、今こうして教会に戻ってこられました。その数十年の間、Fさんが放蕩の限りを尽くしていたとは思いませんし、父のことを忘れていたかどうかは分かりませんが、父はいつも待っていました。今日この日を、天の父も、友吉さんも喜んでおられることでしょう。

 この後、洗礼を授け、聖餐をします。洗礼に立ち合う私たちも、信仰を新たにしましょう。自分が信仰に導かれた時のことを思い起こしましょう。また、聖餐にあずかり、キリストが私たちのために十字架にかかって、その身を裂き、血を流されたこと、その深い愛を思い起こしましょう。

2019年9月29日 園部会堂

牧師日記 9月20日

宇田慧吾牧師

 印象的なfacebookの投稿がありました。地域で親しくしている方のものです。一部修正して転載します。

(以下)

夏休み明けて息子が本気で学校に行くのを嫌がった。夏休み明け翌週、月曜日に法事があって学校を休み、火曜日の朝学校に行くのを嫌がった。原因はやはり宿題だった、月曜日休んだので、火曜日の昼の休み時間に宿題をみんなの前でしなくてはならないのが嫌なようだ。問題はそこじゃない。火曜日の朝に息子が怯えながらこう言った。「農業するし、家の手伝いもする、良い子にするから、学校に行かせないで」この子は、自分の存在意義を無条件に感じれていないんだ。学校で優等生になるか、家で優等生になるか。

ショックだった。生きているだけ、それだけで彼には存在する価値がある、無条件で自分を愛して、彼として生きる事が彼の最大の仕事であって欲しい。その事を感じれていないのは、それは親である僕もまた、自分自身を無条件に愛する事ができていないからだったと思う。有機農家、自給自足家、少林寺拳法の先生、デモクラティックスクールの卒業生、そしてなにより大きな働きをなした父の息子として、なんらかの成功をしなくてはいけない、そんな風に思っていて、常に焦って生きてきたように思う。学校はとりあえず宿題のやり方を変更することで、息子も納得して学校にいきはじめた。僕も少しずつ、何者でもない自分を愛せるようになっていけそうな気がします、何者でもない子どもたちを愛せるように。

(以上)

 「無条件に愛されていること」「存在しているだけで価値があること」、そのような神の愛を牧師として語り、信仰者として信じているのはもちろんですが、自分の心の奥の方にも「自分自身を無条件に愛せていない」気持ちがあるなと思いました。そういう気持ちにせかされて努力してこれたという面もありますが、一方、そういう気持ちに追い立てられていつも焦りがあるというのもよく分かります。

 普段は日常をこなすため、自分の心の深いところにある気持ちはとりあえず奥にしまっておいてしまうものですが、「無条件に自分を愛せない気持ち」そんな気持ちも自分の心の中にあるんだなと気づくと、そういう自分も含めて神さまは愛してくれているんだなとしみじみ感じたりします。

2019年9月20日

《説教要旨》「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい」ルカによる福音書12章35-48節

宇田慧吾牧師

 神さまの僕として、神を愛し、人を愛して生きたいと願っています。けれども時折、心や体が弱っていて、奉仕する力が湧き上がってこないような時もあります。そのように神さまの良い僕でありたいと願いつつも、今は力がないと感じている人に向けて、今日の聖書の言葉は語りかけています。

 キリストが主人と僕のたとえ話をしました。おもに二つのことが語られています。①主人が見ていない時でもご奉仕する準備をしていなさい。②夜であっても準備していなさい。「見ていない時でも」というのは分かりますが、どうして「夜」も備えるように勧めたのでしょうか。私はこの言葉を自分へのメッセージとして受け取る時、「夜」という言葉の意味がよく分かるように感じました。心が元気な時、信仰的に充実している時には、たくさんの奉仕をすることができますが、一方、心が弱っている時や信仰的に渇いている時には、奉仕する力がなく、夜のような時をすごします。そのような時にこそ、キリストは「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい」と勧めました。

 夜を過ごす時の自分や、いま教会の中で夜を過ごしている方たちを思い浮かべて、この言葉をどのように受け取れるかを想像しました。半分は素直に受け取りたいと思いました。心や体が弱っている時にこそ、腰に帯を締め、ともし火をともしたいと願います。もう半分は、完璧でなくてもいいのだと思いました。力がある時のように大きな奉仕ができなくても、小さく細々とでも神さまと繋がり、今できる奉仕をできれば、それで十分なのかなと。キリストは私たちに語りかけています。「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい」と。

2019年8月25日 亀岡会堂

牧師日記 8月16日

宇田慧吾牧師

 聖書に出てくる物語の中で比較的よく知られた「善きサマリア人のたとえ」という話があります。〈以下引用)。

 「ある人がエルサレムからエリコへ下って行く途中、追いはぎに襲われた。追いはぎはその人の服をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。ある祭司がたまたまその道を下って来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。同じように、レビ人もその場所にやって来たが、その人を見ると、道の向こう側を通って行った。ところが、旅をしていたあるサマリア人は、そばに来ると、その人を見て憐れに思い、近寄って傷に油とぶどう酒を注ぎ、包帯をして、自分のろばに乗せ、宿屋に連れて行って介抱した。そして、翌日になると、デナリオン銀貨二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『この人を介抱してください。費用がもっとかかったら、帰りがけに払います。』」(以上)

 私は両親が教会に通っていたので、幼少の頃は親と一緒に教会に行っていました。幼少期の記憶とはすごいもので、大人になってから聖書を読むと「こんな話あったな~」と案外記憶の端に残っていたりするものです。そんなぼんやりと憶えていた話とは別に、子どもながらに心に残った話が「善きサマリア人」でした。傷ついた人を見て見ぬふりをした祭司やレビ人のようにではなく、善きサマリア人のように助けが必要な人に手を差し伸べようという気持ちが少年の心に宿ったようです。

  思春期になると、少年の心に宿った善きサマリア人の精神は、「人を助けたい」という強い意志になりました。その意志によって他者のために働き、感謝を受ける喜びの経験を重ねました。一方、これは自己満足ではないか、偽善ではないかという問いも通り、他者に奉仕する自分の力の小ささに虚しさを感じたりすることもありました。私の場合は、そのような問いや虚無感によって信仰に導かれたように思います。

 牧師として奉仕するようになると、自分が善きサマリア人よりも、祭司やレビ人に重なるように感じることが増えました。祭司やレビ人は礼拝に奉仕する立場の人たちであり、今日で言えば牧師の立場に近く、神の愛を語り、隣人への愛を勧め、その実践が望まれる立場の人たちでした。当然牧師も、そのような期待を受けて然るべき立場ですが、現実の働きの中には「道の向こう側」を通っていくような場面が少なくありません。自分の心のキャパシティの限界や日常の業務からくる時間的制約、能力や知識、経験の不足、それらことから道の向こう側を通っている自分をしばしば見つけ、悔いる思いを持ちます。

 牧師も人間ですから、人間的な制約による限界があるのは当然のことですが、道の向こう側を通る経験を繰り返す中で、心がすり減り、心に虚しさが溜まっていくのも事実です。「人間だもの」となかなか割り切ることもできないでいます。そういう気持ちのせいか、「追いはぎに襲われた人」にも共感するようになってきました。傷つき、倒れている私をキリストが手当てし、介抱してくれているように感じたりします。

2019年8月16日

牧師日記 8月10日

宇田慧吾牧師

 ふと友人にメールをしようと思い、近況や最近考えていること等について長々と書いて送りました。教会で行ってきた地域の子どもたちのための活動をNPO法人化したこと、設立業務や交付金申請の書類作成に追われる日々であること、そういった忙しさの中でも地域や行政の方たちと共に地域の課題に取り組める喜び、教会とNPO法人という二重の立場で自分はどのように神の召命に応えていけるのか考えること等々。

 彼は東京都庁で働き始めて6年程、もともと勉強熱心な方で、私が自分の課題を話すと、いつも最近学んだことの中からおすそ分けをくれます。今回のお返事の中には、マネジメントの話があり、興味深いと感じたので少し引用します。

 「職場の行き帰りには相変わらず多読乱読を続けていますが、最近、ピーター・ドラッカーの『マネジメント』を読了しました。ドラッカーのメッセージと教訓は明快です。①組織の生み出すべき成果は組織の外部にあることに気づくこと、②組織が成果をあげるためには顧客への貢献(顧客のニーズ)に焦点を合わせ、新たな顧客を創造すること、③組織が成果を最大化するためには組織そのものが備える「強み」と組織に関わる人の「強み」を活かすこと(「弱味」の修正や改善に力を注ぐよりも)の3つです。この教訓がより興味深いのは、これらが、営利組織だけではなく、非営利組織(学校、NPO、教会、保護者会などあらゆる集団を含む)の活動と成果にも当てはまると言い切っていることです。教会でもNPOでも株式会社でも、マネジメントの要諦は同じなのだと。」

①組織の生み出すべき成果は組織の外部にあることに気づくこと。

②組織が成果をあげるためには顧客への貢献(顧客のニーズ)に焦点を合わせ、新たな顧客を創造すること。

③組織が成果を最大化するためには組織そのものが備える「強み」と組織に関わる人の「強み」を活かすこと(「弱味」の修正や改善に力を注ぐよりも)。

 いま自分がいる教会に照らして、あれこれと思いめぐらしました。

 「他のための教会」、「福音の本質は不変だが、その伝達の様式は時代に合わせて変化する」といった神学者たちの言葉が頭に浮かびます。教会そのものの「強み」と教会に関わる人の「強み」、いくつも頭に浮かびますが、弱気になっている時は「弱み」ばかりに目がいきがちであることを反省します。

≪主の祈りの学び≫11「国とちからと栄えとは限りなくなんじのものなればなり アーメン」

宇田慧吾牧師

 学生の頃、長野の友達のところに遊びに行きました。その友達はノンクリだったのですが、たまたま日曜日が重なったので教会に誘いました。すると「教会って日曜日も開いてるの?」とのこと…。

 礼拝が終ってから感想を訊くと、「賛美歌って人生みたい。いろんなことがあって、でも神様が助けてくれて、最後はアーメンで終わるの」。こいつ、天才だなと思いました。

 「最後はアーメンで終わる」。すてきな言葉です。人生には自分の思い通りにはいかないこともありますが、そんな出来事も神さまのご計画のうちにあることを信じてアーメンと言いたいです。

「国とちからと栄えとは限りなくあなたのものだからです」

 なにげない言葉ですが、大切な一言です。自分の思い通りにはいかないときにも…、いえ、そんなときこそ『神さまの思い通り』になっていることを信じましょう。

 今回で主の祈りの学びは最終回になります。多くの方から感想やコメントをいただき、とても励まされました。また、主の祈りについてきちんとした学びの機会を持つことなく信仰生活をすごしてきたわたしにとっては、主の祈りに親しむよい機会となりました。拙い学びを支えてくださった皆様、ありがとうございます。

 「主の祈り」「十戒」「使徒信条」の三つがキリスト教の三要文と言われますから、また折をみて学びを持てたらと思います。ひとまずは連載が一段落しましたので、しばらくはお休みということで(*^^*)

《聖書を読みながら思うこと》ルカによる福音書8章1-3節

宇田慧吾牧師

ルカによる福音書8章1-3節 「すぐその後、イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた。十二人も一緒だった。悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた。」

 先日、地域の青年と話していた中で、「自分は役に立てているだろうか」という話がありました。お世話になった人たちを手伝って、今度は一緒にお世話をする側になっていきたい。そんな気持ちを持ちながらも、自分がうまく手伝えてるのか自信が持てない。

 話を聞きながら、自分にもそういう気持ちの時ってあるな~と思いつつ、いつからかそういう不安をあまり感じなくなったなとも思いました。「役に立ちたい」という気持ちは、もちろん尊いモチベーションですが、一方で「ひとりよがり」や「空回り」になりやすい原動力でもあるように思います。

 自分が「役に立とう!」と思っている部分とは別の所で、案外、他人の励ましになっていたり、周囲の人と繋がることができるきっかけになったりもするものです。

 そういう期せずして役割を果たしていることについて、キリスト教には「召命」という言い方があります。日本語は「神が召して命ずる」で、神さまがあなたを選んで、あなたに役割を与えることです。英語ではシンプルに「Calling」すなわち「呼ぶ」。ドイツ語ではBerufで「職業」の意味、「神さまが与えた職」すなわち「天職」ですね。ニュアンスはいろいろですが、いずれも「神に呼ばれ、役割を与えられる」ことです。用例として教会の中では「召命に応える」とか「召命を信じる」等の使われ方をします。

 「召命」という言葉について特に牧師はビンカンです。牧師という役割は神さまに与えられた役割だと信じてご奉仕しているからです。これがもしひとりよがりの勘違いであったとしたら虚しいことです。

 牧師になろうと志し、自分の召命を問うていた時代に、お世話になっていた牧師に「どうして牧師になったんですか?」と尋ねたら、「分からん」と言われました。そして彼は「それは神さまにしか分からない」と言いました。

 キリスト教の信仰では、牧師以外の職業はもちろん、どんな立場であれ、今与えられている立場が「召命」だと受けとめます。そして、その与えられた立場で、どうがんばろうと、どう抗おうと、人は神に与えられた役割を果たしているのだと信じるのです。

2019年8月2日