「召命」3 宇田慧吾牧師

 前回、ベックさんに牧師の召命について相談をしたところまでお話しました。その時ベックさんはサムエルの話をしてくれました。神さまがサムエルに語りかけた時、サムエルは誰から語りかけられたのか分からなかった。その後、もしまた呼びかけられたら「主よ、お話しください。しもべは聞いております」と答えるよう祭司に教えられた。そして次はそうに答え、神さまの語りかけを受け取ることができた。そんなサムエルの話をした後、ベックさんが言いました。「サムエルのように待っていたら、神さまが語りかけてくれるかもしれない。それがいつなのか人には分からないけど、ひょっとしたら…、今日かもしれない!」。


 帰り道、神さまが語りかけてくれるまで待とう。待っていれば良いんだ。そんな清々しい気持ちで歩きました。また、自分にとって重要なのは、牧師になるかどうかではなく、神さまから与えられた役割を生きることだという気持ちに着地していました。


 きっとダライ・ラマ6世が還俗したのも、ベックさんが牧師の資格を返上したのも、職責より重要な召しがあったからなのでしょう。また、高僧ではなく一人の俗人として生きることで、制度上の牧師ではなく一信仰者として生きることで、彼らは深く人に寄り添っていると私は感じました。ベックさんに出会い、テツさんからダライ・ラマ6世の話を聞き、私は「いつか自分も還俗しよう」と思いました。それは私も彼らのように、制度上の職責より召命に素直な宗教者になりたいという気持ちでした。(続く) 

宇田慧吾牧師
(2024年3月3日)