須知会堂の閉所

宇田慧吾牧師

2023年4月30日に須知会堂の閉所礼拝が行われました。

地域の過疎化・高齢化に伴い会員数も減少してきていました。

最後の数年は毎回4人での礼拝でした。

会堂のお世話役を続けてくださった90代の方。

退職後、須知会堂の近くに引っ越してきた他教会員の方。

ご両親と一緒に子どもの頃に通っていた他教会員の方。

皆さんに支えられて最後まであたたかい礼拝が続けられたのはありがたい恵みでした。

須知での最初の献堂が1887年とのことです。

136年間の神さまのお守りを心から感謝します。

2023年5月

《須知会堂沿革》

1887年 須知村に会堂を建築

1920年 本梅部をつくり須知部は園部部に合併

1950年 須知芦田兄宅で臨時洗礼聖餐式挙行。戦後、芦田、岩崎両兄中心の伝道により受洗33名、転入5名の大挙入信

1952年 須知会堂献堂式

1954年 「須知問題について」山口、大河原両牧師と役員懇談

    (須知伝道所として丹波基督教会から独立)

1955年 役員会で須知伝道所の芦田兄と合併問題協議

1957年 役員会に須知伝道所より諸兄出席し協議。合併手続決定

1964年 須知会堂 第一日曜日朝 礼拝開始。須知CSピクニック琴滝へ

1981年 須知会堂改築準備委員選出

1982年 須知会堂献堂式挙行(約78名出席)

2014年 須知会堂にて地区2.11集会

2016年 須知合同礼拝(35名)、懇談会「今後の教会の体制について」

2017年 須知合同礼拝(49名)、食事、交流の中で受洗者、転入会者等報告

2018年 須知合同礼拝(25名)

2023年 閉所礼拝(44名)

最近のことなど 宇田慧吾牧師

 家族で夕飯を食べる時、3歳の娘が「『いただきます』はつくってくれた人にありがとうっていうことだよね」と尋ねました。「それもあるし、あと食べ物を育ててくれた神さまにもありがとうだよ」と私。すると娘はやや真面目な顔で「パパ、神さまはお野菜育ててないよ」とのこと。庭で一緒にトマトを育てたこともあり、野菜を育てたのは「私」という自負があるようです。そんな話を農家さんたちにしたところ、野菜つくりにおいて神さまは「日照りとか豪雨とかいろんな試練もお与えになる」とのことでした。

 また別の日に娘と公園を歩いていると、道端にハトの亡骸がありました。「ハトさんどうしちゃったの?」と娘。このハトはもう死んでしまったこと、命あるものはいつか必ずそうなること、娘やパパやママも必ずいつかはそうなることを話しました。「いやだ、こわい」と言うので、「大丈夫。その時は神さまが迎えに来てくれて、イエス様が一緒にいてくれるよ」と話すと、神妙な面持ちで「そうなんだ」と吞み込んだ様子でした。用事を終えた帰り道、ハトがいなくなっていました。「いなくなった!神さまが迎えに来てくれたんだ!」と嬉しそうな娘。私は内心「カラス?猫?」。

 

2022年9月

《説教要旨》「クリスマスおめでとうございます」

宇田慧吾牧師


 クリスマスの出来事が「住民登録」の話で始まることをご存じでしょうか。キリストが生まれた頃、初代ローマ皇帝アウグストゥスにより住民登録の勅令が発せられました。アウグストゥスが皇帝となった後、ローマは千年に渡る歴史を築きました。

 そんな栄えた国の片隅で、人知れず赤ちゃんが生まれました。両親は例の住民登録のため100km以上に渡る旅の途中でした。生まれた赤ちゃんは飼い葉桶に寝かせられました。寝かせられたのがベッドでなかったのは「宿屋には彼らの泊まる場所がなかったから」と書かれています。

 この赤ちゃんのもとに最初に訪れたのは羊飼いでした。彼らはその頃、野宿をしながら夜通し羊の番をしていました。「野宿で夜通し」とはいかにも大変そうな仕事です。

 どんなに国が栄えても、その片隅に、その夜に、様々な人が生きています。それは今も昔も同じことかと思います。聖書が伝えるクリスマスは、その片隅に、その夜に、救い主が来てくれたという出来事でした。

 ちなみに私が救われたのもクリスマスの頃でした。当時高校3年生の私は友人や家族にも恵まれ、とても充実した境遇にありました。その一方で、心の中に言いようのない孤独感や虚無感がありました。ある時、その心の寂しさに神さまが寄り添ってくれていることを感じ、救いを実感しました。

 皆さんの心には「片隅や夜」がありますか?

 もしあるなら幸せです。キリストはそこに来て、いつも共にいてくれます。


2021年12月

《説教要旨》「帰るかもしれない」エレミヤ書36章1節-10節

片岡広明牧師

 アドベントの小さな光がふたつ輝いています。ろうそくの光はほんの小さな光ですが、闇の中では小さな光も豊かな輝きを放ちます。先週は久しぶりに聖餐に与りました。小さなひとかけらのパンと小さな杯によって、何にも換えがたい大きな生きる力を与えられるとは不思議なことです。

 エレミヤは古代イスラエルの歴史の中でも南ユダ王国の末期からバビロン捕囚へと至る激動の時代を主の預言者として生きた人でした。エレミヤは涙の預言者と呼ばれます。エレミヤの預言者としての悲しみは、神様のみ言葉をどんなに力を込めてユダの人々に語っても、一人も耳を傾けようとする人がいなかったという孤独の悲しみでした。エレミヤはまことに小さくされた存在でした。しかしエレミヤの偉いところは、どんなに人々が神様のみ言葉を聞こうとしなくても、決して投げ出さず、諦めなかったことです。神様はエレミヤに、言葉を巻物に書き留めよと言われます。エルサレム神殿に出て行くことすら赦されていなかった、迫害の中にあったエレミヤですが、巻物を弟子に託して神様の言葉を人々に知らせようとしたのです。その巻物も悪逆非道な王に焼き捨てられてしまうのですが、それでもエレミヤは諦めず、二巻目の巻物の制作に取りかかり、それがエレミヤ書の言葉として残されていくのです。エレミヤの働きは、闇の中に小さな灯りを点すようなものでしが、やがてエレミヤが聞いた神様のみ言葉は後々にまで伝えられ、キリストの誕生にまで至る救いの歴史をつないでいくのです。

 12月第1日曜日は社会事業奨励日です。社会福祉や医療、教育といった分野で教会はこの世で弱く小さくされている人々に寄り添う働きを担ってきました。わたしたち自身の日々の歩みも、世界を覆い尽くす闇の中に小さなゆっくり火をわずかに一つずつ、ゆっくりと点していくような歩みですが、必ずそれは全世界を照らす神様のみ光を映し出すものとなっていくことと信じて、今年のクリスマスを待ち望みたいと思います。

2021年12月5日

12/11(土) 南丹市民クリスマス@園部会堂のお知らせ

今年もクリスマスコンサートが園部会堂で開催されます。

日 時:12月11日(土)14時開演
場 所:丹波新生教会園部会堂
予 約:080-1264-0371
参加費:無料

演奏者

森本英希:リコーダー&フルート

吉竹百合子:チェンバロ

中野潔子:ヴィオラ・ダ・ガンバ

ぜひお越しください!

 

EPSON MFP image

オペラ 内藤ジョアン

キリシタン武将を主人公とする「オペラ 内藤ジョアン」が上演されます。

内藤ジョアンは武力ではなく話し合いで解決することを重んじた武将で、ある時には丸腰で民へ渡り、和平に貢献したそうです。

晩年はキリシタン禁教令で弾圧を受け、フィリピンへと追放され没しました。そのような厳しい迫害に遭っても、ジョアンは己の信仰を貫いたそうです。

今回、内藤ジョアンを演じるのは、内藤ジョアンの末裔でバリトン歌手の内藤大さんです。内藤さんはジョアンという人物が遺してくれたメッセージを伝えようと、郷土の学校へも足を運び、こどもたちとも交流してこられました。

今回の公演には八木西小学校のこどもたちも合唱団として参加します。

会場:南丹市園部文化会館「アスエルそのべ」
日時:2021年10月1日(金)14:00と18:30
                        10月2日(土)14:00
入場料:一般3,000円 中学生以下1,000円
チケット購入先:南丹市商工会 0771-42-5380

最近のことなど 宇田慧吾牧師

 娘が2歳になり保育園に通い始めました。はじめは泣きながらの登園でしたが、最近は朝起きると「保育園行く?先生待ってる?」と登園をせがみます。家に帰ってくると、保育園でおぼえた歌を披露してくれます。毎日ご機嫌の様子でありがたいことです。

 NPO法人そのべるは京都府の居住支援法人の指定を受け、住まいの確保に課題のある方のサポートを始めました。今請け負っているケースでは行政等が丁寧に連携してくださるので、勉強させていただきながらスタートできています。困難なケースでは、できることの少なさを申し訳なく思うこともありますが、与えられた出会いに丁寧に向き合っていければと思います。

 船南の礼拝では使徒言行録をしばらく継続して読むことにしました。5月30日の礼拝で読んだ次の言葉が心に残りました。「あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです」(2章36節)。ペトロの説教の締めくくりの言葉です。仕事、子育て、家族など、若く自由であった青年時代より大切に思えるものが増え、同時にせわしなさも感じる中、自分の軸としてキリストが「主・メシア」でいてくださることを心強く感じています。

 最近、地域の青年と話す中で「悲しい出来事をどう受けとめるか」という話題がありました。「途中には悲しみやしんどさがあっても、最終的には神さまが良きに計らってくれるとぼくは信頼している」と話すと、うんうんと頷いてくれました。

2021年6月6日

最近のことなど 宇田慧吾牧師

 先日、教会員のご家族が逝去され、葬儀の司式をしました。御年88歳、既に余命宣告も受けていましたので、ご親族も心の準備をしたうえでの葬儀であったと思います。

 納棺式の時、ご親族が故人の好きだったものを棺に入れました。愛用のジャンバー、帽子、草刈りに使っていた鎌、コロッケ、パン、ポテトチップス、煙草、天童よしみのポスター。最後に飲み物もあった方がいいねと缶コーヒーを買って入れました。

 ご遺族は故人について「とにかくまじめに、一生懸命生きてきた」と話します。お仕事は一つの製材所に40年以上勤められました。私生活においては、親戚の子どもたちをかわいがり、兄弟が相続した家の農地の草刈りを黙々と続けました。お年を召され、草刈りに通えなくなると、近所の人が気づくほどに、いつもきれいにしておられたそうです。

 納棺の時、特に親しくすごしたご親戚が「エイちゃん、エイちゃん、ありがとう」と、たくさんのものを棺に入れる様子を見ながら、故人は幸せな方だなと思いました。

 牧師として葬儀に立ち合わせていただく度に、人生の時間には限りがあるということを意識させられます。あたり前のことではありますが、限られた人生の時間を丁寧に大切に生きようと思わされます。

「生涯の日を正しく数えるように教えてください。
 知恵ある心を得ることができますように。」詩編90:12

2021年2月21日