《説教要旨》「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい」ルカによる福音書12章35-48節

宇田慧吾牧師

 神さまの僕として、神を愛し、人を愛して生きたいと願っています。けれども時折、心や体が弱っていて、奉仕する力が湧き上がってこないような時もあります。そのように神さまの良い僕でありたいと願いつつも、今は力がないと感じている人に向けて、今日の聖書の言葉は語りかけています。

 キリストが主人と僕のたとえ話をしました。おもに二つのことが語られています。①主人が見ていない時でもご奉仕する準備をしていなさい。②夜であっても準備していなさい。「見ていない時でも」というのは分かりますが、どうして「夜」も備えるように勧めたのでしょうか。私はこの言葉を自分へのメッセージとして受け取る時、「夜」という言葉の意味がよく分かるように感じました。心が元気な時、信仰的に充実している時には、たくさんの奉仕をすることができますが、一方、心が弱っている時や信仰的に渇いている時には、奉仕する力がなく、夜のような時をすごします。そのような時にこそ、キリストは「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい」と勧めました。

 夜を過ごす時の自分や、いま教会の中で夜を過ごしている方たちを思い浮かべて、この言葉をどのように受け取れるかを想像しました。半分は素直に受け取りたいと思いました。心や体が弱っている時にこそ、腰に帯を締め、ともし火をともしたいと願います。もう半分は、完璧でなくてもいいのだと思いました。力がある時のように大きな奉仕ができなくても、小さく細々とでも神さまと繋がり、今できる奉仕をできれば、それで十分なのかなと。キリストは私たちに語りかけています。「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい」と。

2019年8月25日 亀岡会堂