《説教要旨》「父は待っている」ルカによる福音書15章11-32節

宇田慧吾牧師

 今日は洗礼式があります。洗礼を受けるFさんに「洗礼の記念品は何がいいですか」と尋ねると、「友吉さんがなぜ洗礼を受けたのか知りたいので、その資料が欲しいです」と仰られました。友吉さんはFさんの曽祖父です。曽祖父の友吉さんが洗礼を受けられたことから、F家と教会の関わりが始まりました。

 結論から言うと、友吉さんがなぜ洗礼を受けたのかについてのはっきりとした資料は見つかりませんでした。ただ、友吉さんが1890年に洗礼を受けておられ、この年は丹波教会が創立された6年目であり、その時の牧師であった留岡幸助から洗礼を受けたということは資料から分かりました。これらのことから、当時の教会の様子や留岡幸助牧師の働きが、友吉さんの受洗理由にある程度関係しているのではないかと想像します。

 当時の教会の様子は今と比べれば特別なものでした。京都市内から同志社の学生や宣教師が歩いて伝道に来ていました。彼らの感化から洗礼を受けた村上太五平という人物は熱心な伝道活動をして「丹波教会の父」と称されました。彼は回心前は「酒豪と放蕩で知られていただけに彼の変化はそれ自体が説得力を持ち、キリスト者になる者が多かった」と記録されています。またこの時代、胡麻には丹波ヨブと呼ばれた野林格蔵がいました。彼はハンセン病患者として差別を受けましたが、信仰者である母から受け取った「格蔵、信仰だけは落とすなよ」の言葉を胸に最期まで信仰を貫かれました。また当時はキリスト者への迫害が激しく、胡麻会堂は発足直後に何者かの放火によって全焼しました。翌日、教会員一同で焼け跡を片付けている時、その中の一人が「犯人を告訴すべきだ」と発言したところ、他の会員たちは「それは違う。聖書に『敵を愛し、憎む者のために親切にせよ、呪う者を祝福し、辱める者のために祈れ』とある」と諭し、一同その場に座して祈りを捧げ、一層、強い信仰の絆に結ばれた、との記録があります。一か月後、会堂は再築され、献堂式が行われました。これらは友吉さんが洗礼を受けた当時の教会の様子の一端です。

 友吉さんに洗礼を授けた留岡幸助牧師は、日本の社会福祉の先駆者として著名な人物です。監獄で受刑者と関わる教誨師としての活動や、非行少年や保護者のいない少年と共同生活をして更生をはかる家庭学校を日本でいち早く始めました。丹波教会での在任期間は二年半と決して長い期間ではありませんでしたが、友吉さんの息子にあたるHさんは「丹波教会の歴史の中で牧師と信徒、信徒同士の深い交流があったのは留岡牧師の時代」と証言していたそうです。留岡幸助の牧師としての働きについては次のような記録があります。「講壇に立って、偉そうぶって説教をたれるような牧師ではなかった。民衆の心をつかむため、つねに彼らの中に分け入って行こうと心がける牧師であった」。「構えた姿勢でキリストの教えを説くのではなく、丹波の民衆の生活に密着した、幅広い日常的な実践を大切にしていた」。「彼の伝道にはいつも生活と汗のにおいがこもっていた」。留岡幸助が感化を与えた教会員の一例として、田中藤左衛門は、後に園部幼稚園や淇陽学校を創設し、初代園長、初代校長を務めました。

 留岡幸助自身は「人間の美しさ」について基督教新聞に次のような文章を書いています。「およそ人の本当の美しさというものは孤立した関係からは生まれない。夫婦という関係があって、夫婦の愛の美しさが生れる。親子の関係も、また友人にしても同じである。・・・およそ人のうちにあってもっとも美しいのは愛である。その愛の中でも聖霊を心に受けて、神の霊に触発された愛の人ほど美しいものはない。本当の人間の美しさとは、複雑な人間関係の中で育てられる愛であり、その愛が神の愛に覆われた時である」。
 この文章からは留岡自身が「人との関係」を大切にしており、その中でも特に「人間関係における複雑さの中で愛が育てられること」を大切にしていたことが受け取れます。

 友吉さんがなぜ洗礼を受けたのかについて、確実な理由は分かりません。ただ、今ご紹介した教会の様子の中で、また留岡幸助牧師との関わりの中で洗礼を受けたということは歴史上の事実です。そもそも、『なぜ』について私たちはいつも全部を知ることはできません。すべてをご存知なのは神さまだけです。友吉さんが洗礼を受けたのは、今日こうしてFさんが洗礼に導かれるためだったのかもしれませんよ。

 今日の聖書箇所は「放蕩息子のたとえ」でした。放蕩息子が父のもとを離れて、自由を謳歌していた時、息子は父のことを忘れていました。けれども、父は息子のことを忘れていませんでした。戻って来た息子を見つけると、走り寄って抱きしめました。父は息子を待っていました。
 Fさんは子どもの頃、園部の教会学校に通い、その後は教会を離れ、今こうして教会に戻ってこられました。その数十年の間、Fさんが放蕩の限りを尽くしていたとは思いませんし、父のことを忘れていたかどうかは分かりませんが、父はいつも待っていました。今日この日を、天の父も、友吉さんも喜んでおられることでしょう。

 この後、洗礼を授け、聖餐をします。洗礼に立ち合う私たちも、信仰を新たにしましょう。自分が信仰に導かれた時のことを思い起こしましょう。また、聖餐にあずかり、キリストが私たちのために十字架にかかって、その身を裂き、血を流されたこと、その深い愛を思い起こしましょう。

2019年9月29日 園部会堂

《説教要旨》「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい」ルカによる福音書12章35-48節

宇田慧吾牧師

 神さまの僕として、神を愛し、人を愛して生きたいと願っています。けれども時折、心や体が弱っていて、奉仕する力が湧き上がってこないような時もあります。そのように神さまの良い僕でありたいと願いつつも、今は力がないと感じている人に向けて、今日の聖書の言葉は語りかけています。

 キリストが主人と僕のたとえ話をしました。おもに二つのことが語られています。①主人が見ていない時でもご奉仕する準備をしていなさい。②夜であっても準備していなさい。「見ていない時でも」というのは分かりますが、どうして「夜」も備えるように勧めたのでしょうか。私はこの言葉を自分へのメッセージとして受け取る時、「夜」という言葉の意味がよく分かるように感じました。心が元気な時、信仰的に充実している時には、たくさんの奉仕をすることができますが、一方、心が弱っている時や信仰的に渇いている時には、奉仕する力がなく、夜のような時をすごします。そのような時にこそ、キリストは「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい」と勧めました。

 夜を過ごす時の自分や、いま教会の中で夜を過ごしている方たちを思い浮かべて、この言葉をどのように受け取れるかを想像しました。半分は素直に受け取りたいと思いました。心や体が弱っている時にこそ、腰に帯を締め、ともし火をともしたいと願います。もう半分は、完璧でなくてもいいのだと思いました。力がある時のように大きな奉仕ができなくても、小さく細々とでも神さまと繋がり、今できる奉仕をできれば、それで十分なのかなと。キリストは私たちに語りかけています。「腰に帯を締め、ともし火をともしていなさい」と。

2019年8月25日 亀岡会堂

《聖書を読みながら思うこと》ルカによる福音書8章1-3節

宇田慧吾牧師

ルカによる福音書8章1-3節 「すぐその後、イエスは神の国を宣べ伝え、その福音を告げ知らせながら、町や村を巡って旅を続けられた。十二人も一緒だった。悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち、すなわち、七つの悪霊を追い出していただいたマグダラの女と呼ばれるマリア、ヘロデの家令クザの妻ヨハナ、それにスサンナ、そのほか多くの婦人たちも一緒であった。彼女たちは、自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた。」

 先日、地域の青年と話していた中で、「自分は役に立てているだろうか」という話がありました。お世話になった人たちを手伝って、今度は一緒にお世話をする側になっていきたい。そんな気持ちを持ちながらも、自分がうまく手伝えてるのか自信が持てない。

 話を聞きながら、自分にもそういう気持ちの時ってあるな~と思いつつ、いつからかそういう不安をあまり感じなくなったなとも思いました。「役に立ちたい」という気持ちは、もちろん尊いモチベーションですが、一方で「ひとりよがり」や「空回り」になりやすい原動力でもあるように思います。

 自分が「役に立とう!」と思っている部分とは別の所で、案外、他人の励ましになっていたり、周囲の人と繋がることができるきっかけになったりもするものです。

 そういう期せずして役割を果たしていることについて、キリスト教には「召命」という言い方があります。日本語は「神が召して命ずる」で、神さまがあなたを選んで、あなたに役割を与えることです。英語ではシンプルに「Calling」すなわち「呼ぶ」。ドイツ語ではBerufで「職業」の意味、「神さまが与えた職」すなわち「天職」ですね。ニュアンスはいろいろですが、いずれも「神に呼ばれ、役割を与えられる」ことです。用例として教会の中では「召命に応える」とか「召命を信じる」等の使われ方をします。

 「召命」という言葉について特に牧師はビンカンです。牧師という役割は神さまに与えられた役割だと信じてご奉仕しているからです。これがもしひとりよがりの勘違いであったとしたら虚しいことです。

 牧師になろうと志し、自分の召命を問うていた時代に、お世話になっていた牧師に「どうして牧師になったんですか?」と尋ねたら、「分からん」と言われました。そして彼は「それは神さまにしか分からない」と言いました。

 キリスト教の信仰では、牧師以外の職業はもちろん、どんな立場であれ、今与えられている立場が「召命」だと受けとめます。そして、その与えられた立場で、どうがんばろうと、どう抗おうと、人は神に与えられた役割を果たしているのだと信じるのです。

2019年8月2日

《礼拝の聖書箇所から》ルカによる福音書17章11-19節

宇田慧吾牧師

 今日は「重い皮膚病のサマリア人」がキリストに出会う物語です。

 「重い皮膚病」の語源は「打たれた」で、神に打たれた病気と考えられていました。この病気にかかると、神殿に入ることが許されず、町の中に住むことも許されていませんでした。人に遭遇する時には「わたしは汚れた者です」と遠くから大声で呼びかけなければならない決まりでした。重い皮膚病にかかった人は神の前からも、人の前からも閉め出された立場にありました。

 また、サマリアは、元はユダヤと同じ国の一部でしたが、サマリアが滅びた時代に外国人との結婚が行われ、同じユダヤの神を信仰しつつも、外国の宗教も混ざった信仰になりました。また血統を重んじるユダヤ人にとっては外国人の血が混ざることは受け入れがたいことでした。それでユダヤ人はサマリア人に対して差別意識を持つようになりました。

 ユダヤ人が「重い皮膚病のサマリア人」に対して差別意識を持ったように、その人の人格ではなく歴史や心情的な理由で持たれる差別が今日の社会にもあります。また、教会の中にもあります。時折、周りの人の信仰を神の前に立つにはふさわしくない、教会にふさわしくないと裁いてしまう気持ちが人の心にはあります。また、自分自身のことが、神の前にふさわしくない、教会にふさわしくないと思われて苦しむこともあります。

 人の心にはそのような思いがありますが、私たちは神さまの招きを信じましょう。ここにいる全員が神の招きによって集められました。ふさわしくない人は一人もいません。またこの教会の全員が神さまによって集められ、互いに出会わされていることを信じましょう。時には対立やすれ違いがありますし、長い時間の関わりになれば修復が不可能に思われる心の傷も生まれます。けれども、そういった人間の弱さも含めて、すべてが神さまのご計画の内にあって出会わされています。この集められた教会の出会いの中で、神さまは私たちに福音を伝えようとしていること、そのことを信じましょう。

 キリストが通りかかった時、重い皮膚病の人たちは決まりの通り、遠くから声を張り上げて呼びかけました。キリストは「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言いました。この10人はその言葉に従って、祭司たちの所に向かいました。キリストの言葉を信じて、従ったのですね。そして、祭司たちの所へ行く途中で癒されました。癒されたことに気づいた一人がキリストのもとに戻ってきました。神を賛美しながら。でもそれは、一人だけでした。そして、キリストはその人に「立ち上がって行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」と言いました。

 このやりとりから受け取れる大切なポイントは、聖書は病気の癒しが救いだとは語っていないことです。私たちにあてはめるとすれば、今自分に与えられている試みが解決され取り除かれることが救いなのではないということです。この戻ってきた1人が、癒しという出来事をきっかけに、神を賛美し、キリストの前にひれ伏し礼拝するようになったこと、これを聖書は救いと呼んでいます。言い換えるなら、神さまの前に立つようになること、神さまと心通わせるようになること、これが救いだと聖書は伝えています。もう少し身近な言葉に直すなら、苦しい時、道がひらかれる時もなかなか開かれない時もありますが、どんな時でも祈ること、賛美すること、礼拝すること、神さまと繋がっていること、これが救いです。

 人間同士でも同じですよね。病気が治るとか、問題が解決するとか、それらはもちろん嬉しいことです。でも、もっと根本的に大切なのは、病気になっても、苦しい試練があっても、そういう中で支えてくれる仲間がいること。苦しい時には助け合えること。そういう繋がりがあることが幸せですよね。

2019年7月14日 園部会堂

《説教要旨》「天にある喜び」ルカによる福音書15章1-10節

宇田慧吾牧師

 まずはお客様の紹介から。韓国から旅行中の二人です。今日の園部の礼拝に来ていたので、一緒にお昼を食べ、琴滝、みとき屋、温泉に行き、そしていま胡麻の礼拝に来ました。園部の礼拝後「どうして園部に来たの?」と訊いたら、「日本の地方を巡る旅」とのこと。こちらの彼は建築学を学んでいる大学生で、そちらの彼はダンサーです。さっき温泉で話していたのですが、彼は15歳の頃からダンスの仕事を始めました。18歳でニューヨークへ。ダンスの仕事とアルバイトをしながら、大学に行くお金を稼いだそうです。お父さんは小さい頃に亡くなられているとのこと。「たくさん努力したんですね」と言うと、「そうでもない。いつも天からお父さんが守ってくれているから、大学に必要なお金を稼ぐことなんてちっちゃなこと」と。でも、今はダンスの仕事を休んでいて、それというのは太ってしまったため。医者に行ったら、ストレスとの診断。休養のため韓国に戻ってきたところ、小学校からの友人の彼が「じゃあ、旅行でも行こうよ」と誘ってくれて、日本に来たとのこと。それで地方を巡る旅なんですね。今日は二人に出会うことができてとても嬉しいです。

 今日の聖書から受け取りたいことは、神さまのもとから迷い出てしまった時には、神さま自身が私を探しに来て、見つけ出し、連れ帰ってくれるということです。迷い出た羊も、見失われた銀貨も、自分の力で持ち主のもとに戻ったのではありませんでした。持ち主が探しに来て、見つけ出してくれたのでした。自分の力で神さまのもとに立ち帰れないような時がありますが、心配ありません。神さまがちゃんと迎えに来てくれます。そして、見つかったことを天で大喜びすると書かれています。

 あんまり日本語で長く話すと、二人がおいてきぼりになりますから、このへんで。最後に英語で少し話しますね。God loves me, but sometimes・・・

2019年7月7日胡麻会堂

《礼拝の聖書箇所から》ルカによる福音書8章40-56節

宇田慧吾牧師

 キリストが町に来た時、人々は「喜んで迎えた」「待ち望んでいた」と書かれています。迎えた人たちの期待感が伝わってきます。一方、自分はこの日曜日を「キリストを迎える」という期待感をもってここにいるだろうか問いかけられます。今、喜びをもって心にキリストを迎えましょう。

 キリストは神と人を愛して生き、十字架にかかり、この世の苦しみを深く経験しました。そのような絶望的な死の中にあるキリストを神は復活させました。どんな苦しみの中にあっても、どんな絶望の中にあっても、神さまは私たちを見捨てないことのしるしです。そのような福音を身をもって示したキリストを心にお迎えしましょう。

 今日の聖書ではキリストを迎えた人たちの中でも特に二人の人がクローズアップされています。一人は会堂長です。この人は12歳の娘が危篤にあり、キリストに助けを求めてきました。もう一人は12年間病気を患ってきた女性です。この人は病気を癒されたい一心で、医者に全財産を使ったものの癒されず、キリストに助けを求めてきました。

 この二人から学べることは、どんなに人徳や地位、財産があっても、人には動かせないことがあるということです。死や病気のことがここでは挙げられていますが、他にも心の健康や与えられた境遇なども自分の力だけでは解決することができない時があります。

 そういう苦しさの中にある二人にキリストがかけた言葉は次のようなものでした。「恐れることはない。ただ信じなさい」。「安心して行きなさい」。人生の中には自分の力だけでは解決不可能な問題が時折ありますが、聖書はそのような問題には神さま自身が応えることを伝えています。

 会堂長の危篤になった12歳の娘、12年間病気を患い全財産を使いつくした女性、おそらくこの二人は違った12年間を生きてきたと思います。順境であれ、逆境であれ、12年という歳月は聖書では神の御心の成就を示す数字です。私たちの人生にも、順境の時も逆境の時もありますが、神さまの定めた『時』があり、その日には神さま自身が私たちの動かし得ない問題に応えることを信じる人でありたいと思います。

 最後におまけ話です。先日、地域の人たちと麻雀をしていました。すごく強い方たちで、コテンパンにやられてしまったのですが、一人の方がこう言っていました。「麻雀で僕が見ている世界と宇田さんが見ている世界はぜんぜん違います。その違いを一言で言うと『なげやりにならないことです』」。彼が言うには、麻雀は運のゲームで、自分の調子が良くない時に投げやりになってしまうと運がめぐってきた時にそのチャンスを逃してしまうとのこと。逆境でもなげやりにならず、その『時』を待つことが大事だと教えてくれました。

 人生にも似たところがあるかもしれません。苦しい時や調子の悪い時になげやりになってしまうと、その『時』を見逃してしまうことも。苦しい時こそなげやりにならず、神さまに頼む人でありたいと思います。心にキリストを迎えましょう。

キーワード:「なげやりにならない」「頼む人」

2019年6月30日 亀岡会堂

《説教要旨》「神の招き・人の都合」ルカによる福音書14章15-24節

宇田慧吾牧師

 今日の聖書は宴会に招かれた人たちが自分の都合でその招待を断ってしまうお話でした。言葉通りに受け取るなら、宴会の招待は断らないように!という教訓になりますが、これは聖書であり、たとえ話です。

 招いているのは神さま、招かれているのは私たちです。毎日の生活の中で、神さまからの招きに応えられているだろうかと問いかけられます。招きを断った人たちの理由は、それぞれもっともらしいものでもありましたが、やや自分の都合にとらわれすぎているようにも思えます。

 今日は大阪から来てくれた青年がいて、朝早く園部に着いたので一緒に今日の聖書箇所を読んで分かち合いました。私が感じたことは、神さまの招きをないがしろにしているとまでは思わないけど、人生で初めて神さまの招きを感じた時に、応えようと思った時の気持ちに比べると、だんだんと惰性的になっているかもしれないということでした。

 また、彼は真剣に求道していた時代に、財布と毛布だけの持ち物で四国の山を歩いたそうです。その途中でたまたま出会った教会に2年間住み込んで奉仕をし、今の自分があるとのことです。

 今ここに集っている私たちも、神さまに初めて招かれた時があったかと思います。その時の神さまへの全くの信頼、すべてを委ねようと決意した気持ち、神さまの導きの内に安らぐ気持ち、そんな気持ちを思い出したいと思います。

2019年6月23日 園部会堂

《礼拝の聖書箇所から》ルカによる福音書24章36-43節

宇田慧吾牧師

 昨日は記念会があって、そのお宅がキリスト教と接点を持つようになった時のことをふりかえりました。今回の記念会で偲んだ方の祖父にあたる方が、近所の人たちと囲碁をしていたそうです。その中にお坊さんと牧師もいて、そこで牧師と接するうちに、洗礼を受けたいと思うようになりました。その方はお坊さんの所に行って、洗礼を受けたいけどよろしいですかとお伺いをたて、お坊さんも許してくださり、洗礼を受けたそうです。小さな集落でのことでもあったので、その後もお寺との関わりも丁寧にお続けになり、その結果、そのお寺の鐘には卍と十字架が並んで刻まれているそうです。

 「平和があるように」とキリストは言いました。和を保つことの大切さは、誰もが認めることですが、実際にそれを実践するのは簡単でない時もあります。互いに善意をもって関わっている時でさえ、心がすれちがったりすることも珍しいことではないと思います。

 キリストは「平和があるように」と言った後、自分の手と足を見せました。十字架にかかって復活した後の場面ですから、その手と足には釘打たれた跡があったことでしょう。この手足の穴は、神が人と和を保つためにご自身が深く傷つくことを選んだ印です。

 人と和を保とうする時には、忍耐が求められますし、深く傷つくこともあります。それは本当にしんどいことでもあります。お恥ずかしいことに、私自身はそのような時、心の壁をつくって他者を遠ざけたり、相手を責める言葉を心に並べて、自分の心を守ることしかできないことも少なくありません。和を保つため、ご自身が傷つくことを選んだキリストの僕として、私は神さまに申し訳ないと思います。

 いつも常にというのは難しいかもしれませんが、大切な時、ご自身が傷つくことを選んだキリストの生き方に思い起こしたいと思います。

キーワード:「平和があるように」
      「手と足の傷」
      「和を保つため自分が傷つくことを選んだ」

2019年5月5日 園部会堂

《説教要旨》「平和があるように」ルカによる福音書24章36-43節

片岡広明牧師

 こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。 ルカ24:36

 5月5日は子どもの日、端午の節句です。子どもたちの健やかな成長を願い、鯉のぼりや鎧兜を飾ります。昔は子どもが元気に育って大人になる割合は今よりもずっと低く、幼児のうちに亡くなる子どもたちが大勢いました。世界には今でも乳幼児死亡率の高い国々がいくつもあります。子どもたちの健やかな成長はみんなの願いなのです。

 教会では子どもの日・花の日の礼拝を行い、子どもたちの成長のために祈ります。子どもたちの心と体、そして信仰が神様によって守り導かれますようにと祈ります。幼い子どもたちには、この先、いくつもの試練や困難が待ち受けていることでしょう。そうした困難を乗り越えて生きる力を神様が子どもたちに賜りますようにと祈ります。神様は小さく弱い者たちをみ心に留めて下さるのです。

 今日の聖書箇所は、イースターの日の夕べ、弟子たちが集まっているところによみがえられたイエスが現れ、「あなたがたに平和があるように」とおっしゃって、ご自身の復活を証しして下さった場面を伝えています。イエスは十字架に釘付けにされたその傷跡の残る手足を弟子たちにお示しになり、亡霊を見ているものと思って恐れる弟子たちに、紛れもなくわたしなのだと証しをなさり、主の復活を信じられないでいる弱い弟子たちを心熱く励まして下さったのでした。

 弟子たちの中には、朝早く主の墓に出かけて空になった主の墓を見た女性たちがおり、エマオ途上の道でイエスに出会った二人もいました。でもその者たちの証言を信じられなかった他の弟子たちは、信じたいけれども信じられないというもどかしさを抱えていました。そんな弱い弟子たちのために、イエスは彼らの前に来て下さり、彼らのために平和を祈って下さったのです。主イエスは弱い者たちを励まし、守り導いて下さいます。彼らが心を強くして主の御心に生きる者となることを心から願っておられます。幼い子どもたちもまた、小さく弱い存在です。主がわたしたちの幼い子どもたちをも守り導いて下さるように、子どもの日・花の日にあたり、祈りを合わせたいと思います。

2019年5月5日 亀岡会堂

《説教要旨》「下り道で気づく」ルカによる福音書24章13-35節

宇田慧吾牧師

 人生の大切な出会いは、いつも「下り道」にあったように思います。 以前、あるセミナーで講師の方が、自分の経歴を紹介した後、「裏経歴」 を話しました。(表?)経歴は東大卒、有名企業に就職、結婚、起業で成功。 一方、裏経歴は、浪人生活、リーマンショックの影響で解雇、離婚、借金。 それから彼は「裏経歴の経験が私を成長させてくれました」と語っていまし た。  人生の中の成功や輝かしい経歴は、もちろん人に自信や喜びを与えてくれ る良いものです。一方、人には隠しておきたい裏経歴もまた、場合によって は人生への深い気づきや真の意味での成長を人に与えてくれるものでもあり ます。

 聖書に描かれる人々も、成功や充実といった「上り道」ではなく、失意や 行き詰まりといった「下り道」で神に出会っています。今日の聖書の物語に 描かれている二人も同じでした。

 この二人が「上り道」でキリストにかけた期待は「力ある王」「勝利」で した。一方、「下り道」で彼らが気づいたのは、どんな時も変わらずキリス トが一緒にいてくれることでした。

 彼らが経験した通り、キリストは「下り道」を歩いている人の側に来て、 一緒に歩き、一緒に語らい、一緒に食事をして、心の目を開きます。二人の 心の目が開いた時、キリストの「その姿は見えなくなった」そうです。その 理由は、もう見えなくても大丈夫だからと言われます。

 私たちが「下り道」を歩く時、キリストが来てくれます。一緒に歩いてく れます。そして、心の目を開いてくれます。

2019年4月28日 園部会堂