礼拝で召命(しょうめい)に関する聖書の箇所を読んでいます。召命は「召して、命ずる」という言葉です。神さまが私を呼んで、使命を与える。教会では「牧師としての召命を受ける」等と使われます。実際には牧師だけでなく、職場や家庭や生活の中で一人ひとりの召命があります。ドイツ語では召命をベルーフと言い「職業・天職」という意味もあるそうです。もしよければ皆さんもご一緒に「私の召命はなんだろう」「いま神さまから私に託されている役割ってなんだろう」と考えていただければと思います。
私は18歳の時に牧師としての召命を感じて神学部に入学しました。卒業の時には「自分は牧師にはなれない」と思い、東京で就職しました。半年ほどで仕事を辞め、インド・パキスタン・イラン・エジプトに旅に行った時、飛行機でたまたま隣に座った日本人が一軒のカレー屋さんを紹介してくれました。そのカレー屋さんの店主はチベット仏教の修行をしながらカレー屋さんをしているとのことでした。私は吉祥寺にあるそのカレー屋さんの店主テツさんと親しくなり、ある時こんな話を教えてもらいました。チベット仏教でとても人気のあるダライ・ラマがいる。それはダライ・ラマ6世で、夜な夜なカツラを被って飲みに行っていた。恋愛に関する詩を多く詠んだ。その中には例えば「あなたに会いに行けば仏が悲しむ。仏に会いに行けばあなたが悲しむ」といった詩がある。最後には還俗した(僧を辞め俗人に戻った)。そんな話を聞き、当時の私は「いつか自分も還俗しよう」と思いました。(続く)
宇田慧吾牧師
(2024年2月4日)