《説教要旨》「父は待っている」ルカによる福音書15章11-32節

宇田慧吾牧師

 今日は洗礼式があります。洗礼を受けるFさんに「洗礼の記念品は何がいいですか」と尋ねると、「友吉さんがなぜ洗礼を受けたのか知りたいので、その資料が欲しいです」と仰られました。友吉さんはFさんの曽祖父です。曽祖父の友吉さんが洗礼を受けられたことから、F家と教会の関わりが始まりました。

 結論から言うと、友吉さんがなぜ洗礼を受けたのかについてのはっきりとした資料は見つかりませんでした。ただ、友吉さんが1890年に洗礼を受けておられ、この年は丹波教会が創立された6年目であり、その時の牧師であった留岡幸助から洗礼を受けたということは資料から分かりました。これらのことから、当時の教会の様子や留岡幸助牧師の働きが、友吉さんの受洗理由にある程度関係しているのではないかと想像します。

 当時の教会の様子は今と比べれば特別なものでした。京都市内から同志社の学生や宣教師が歩いて伝道に来ていました。彼らの感化から洗礼を受けた村上太五平という人物は熱心な伝道活動をして「丹波教会の父」と称されました。彼は回心前は「酒豪と放蕩で知られていただけに彼の変化はそれ自体が説得力を持ち、キリスト者になる者が多かった」と記録されています。またこの時代、胡麻には丹波ヨブと呼ばれた野林格蔵がいました。彼はハンセン病患者として差別を受けましたが、信仰者である母から受け取った「格蔵、信仰だけは落とすなよ」の言葉を胸に最期まで信仰を貫かれました。また当時はキリスト者への迫害が激しく、胡麻会堂は発足直後に何者かの放火によって全焼しました。翌日、教会員一同で焼け跡を片付けている時、その中の一人が「犯人を告訴すべきだ」と発言したところ、他の会員たちは「それは違う。聖書に『敵を愛し、憎む者のために親切にせよ、呪う者を祝福し、辱める者のために祈れ』とある」と諭し、一同その場に座して祈りを捧げ、一層、強い信仰の絆に結ばれた、との記録があります。一か月後、会堂は再築され、献堂式が行われました。これらは友吉さんが洗礼を受けた当時の教会の様子の一端です。

 友吉さんに洗礼を授けた留岡幸助牧師は、日本の社会福祉の先駆者として著名な人物です。監獄で受刑者と関わる教誨師としての活動や、非行少年や保護者のいない少年と共同生活をして更生をはかる家庭学校を日本でいち早く始めました。丹波教会での在任期間は二年半と決して長い期間ではありませんでしたが、友吉さんの息子にあたるHさんは「丹波教会の歴史の中で牧師と信徒、信徒同士の深い交流があったのは留岡牧師の時代」と証言していたそうです。留岡幸助の牧師としての働きについては次のような記録があります。「講壇に立って、偉そうぶって説教をたれるような牧師ではなかった。民衆の心をつかむため、つねに彼らの中に分け入って行こうと心がける牧師であった」。「構えた姿勢でキリストの教えを説くのではなく、丹波の民衆の生活に密着した、幅広い日常的な実践を大切にしていた」。「彼の伝道にはいつも生活と汗のにおいがこもっていた」。留岡幸助が感化を与えた教会員の一例として、田中藤左衛門は、後に園部幼稚園や淇陽学校を創設し、初代園長、初代校長を務めました。

 留岡幸助自身は「人間の美しさ」について基督教新聞に次のような文章を書いています。「およそ人の本当の美しさというものは孤立した関係からは生まれない。夫婦という関係があって、夫婦の愛の美しさが生れる。親子の関係も、また友人にしても同じである。・・・およそ人のうちにあってもっとも美しいのは愛である。その愛の中でも聖霊を心に受けて、神の霊に触発された愛の人ほど美しいものはない。本当の人間の美しさとは、複雑な人間関係の中で育てられる愛であり、その愛が神の愛に覆われた時である」。
 この文章からは留岡自身が「人との関係」を大切にしており、その中でも特に「人間関係における複雑さの中で愛が育てられること」を大切にしていたことが受け取れます。

 友吉さんがなぜ洗礼を受けたのかについて、確実な理由は分かりません。ただ、今ご紹介した教会の様子の中で、また留岡幸助牧師との関わりの中で洗礼を受けたということは歴史上の事実です。そもそも、『なぜ』について私たちはいつも全部を知ることはできません。すべてをご存知なのは神さまだけです。友吉さんが洗礼を受けたのは、今日こうしてFさんが洗礼に導かれるためだったのかもしれませんよ。

 今日の聖書箇所は「放蕩息子のたとえ」でした。放蕩息子が父のもとを離れて、自由を謳歌していた時、息子は父のことを忘れていました。けれども、父は息子のことを忘れていませんでした。戻って来た息子を見つけると、走り寄って抱きしめました。父は息子を待っていました。
 Fさんは子どもの頃、園部の教会学校に通い、その後は教会を離れ、今こうして教会に戻ってこられました。その数十年の間、Fさんが放蕩の限りを尽くしていたとは思いませんし、父のことを忘れていたかどうかは分かりませんが、父はいつも待っていました。今日この日を、天の父も、友吉さんも喜んでおられることでしょう。

 この後、洗礼を授け、聖餐をします。洗礼に立ち合う私たちも、信仰を新たにしましょう。自分が信仰に導かれた時のことを思い起こしましょう。また、聖餐にあずかり、キリストが私たちのために十字架にかかって、その身を裂き、血を流されたこと、その深い愛を思い起こしましょう。

2019年9月29日 園部会堂

8/30(金)南丹まちゼミ「とんかつで婚活」@園部会堂のお知らせ

第1回 『南丹 まちゼミナール』 に丹波新生教会も参加します!

〇とんかつで婚活〇
日 時:8月30日(金)18:00~20:00
会 場:丹波新生教会 園部会堂
申込先:0771-63-0165(園部会堂)
とんかつを一緒に作って食べましょう。『誓約』の言葉と『愛の讃歌』を紹介します。婚活中の方はもちろん、既婚の方も歓迎します。

そのべまちゼミが南丹全域に拡大して開催されます。丹波新生教会では以前もワインの試飲会や、子ども向けに夏休みの宿題会などを開催し、地域の皆さんに来て頂きました。

教会に親しんでもらえるイベントとして、今回も良い地域交流の場となれば幸いです。

《礼拝の聖書箇所から》ルカによる福音書17章11-19節

宇田慧吾牧師

 今日は「重い皮膚病のサマリア人」がキリストに出会う物語です。

 「重い皮膚病」の語源は「打たれた」で、神に打たれた病気と考えられていました。この病気にかかると、神殿に入ることが許されず、町の中に住むことも許されていませんでした。人に遭遇する時には「わたしは汚れた者です」と遠くから大声で呼びかけなければならない決まりでした。重い皮膚病にかかった人は神の前からも、人の前からも閉め出された立場にありました。

 また、サマリアは、元はユダヤと同じ国の一部でしたが、サマリアが滅びた時代に外国人との結婚が行われ、同じユダヤの神を信仰しつつも、外国の宗教も混ざった信仰になりました。また血統を重んじるユダヤ人にとっては外国人の血が混ざることは受け入れがたいことでした。それでユダヤ人はサマリア人に対して差別意識を持つようになりました。

 ユダヤ人が「重い皮膚病のサマリア人」に対して差別意識を持ったように、その人の人格ではなく歴史や心情的な理由で持たれる差別が今日の社会にもあります。また、教会の中にもあります。時折、周りの人の信仰を神の前に立つにはふさわしくない、教会にふさわしくないと裁いてしまう気持ちが人の心にはあります。また、自分自身のことが、神の前にふさわしくない、教会にふさわしくないと思われて苦しむこともあります。

 人の心にはそのような思いがありますが、私たちは神さまの招きを信じましょう。ここにいる全員が神の招きによって集められました。ふさわしくない人は一人もいません。またこの教会の全員が神さまによって集められ、互いに出会わされていることを信じましょう。時には対立やすれ違いがありますし、長い時間の関わりになれば修復が不可能に思われる心の傷も生まれます。けれども、そういった人間の弱さも含めて、すべてが神さまのご計画の内にあって出会わされています。この集められた教会の出会いの中で、神さまは私たちに福音を伝えようとしていること、そのことを信じましょう。

 キリストが通りかかった時、重い皮膚病の人たちは決まりの通り、遠くから声を張り上げて呼びかけました。キリストは「祭司たちのところに行って、体を見せなさい」と言いました。この10人はその言葉に従って、祭司たちの所に向かいました。キリストの言葉を信じて、従ったのですね。そして、祭司たちの所へ行く途中で癒されました。癒されたことに気づいた一人がキリストのもとに戻ってきました。神を賛美しながら。でもそれは、一人だけでした。そして、キリストはその人に「立ち上がって行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」と言いました。

 このやりとりから受け取れる大切なポイントは、聖書は病気の癒しが救いだとは語っていないことです。私たちにあてはめるとすれば、今自分に与えられている試みが解決され取り除かれることが救いなのではないということです。この戻ってきた1人が、癒しという出来事をきっかけに、神を賛美し、キリストの前にひれ伏し礼拝するようになったこと、これを聖書は救いと呼んでいます。言い換えるなら、神さまの前に立つようになること、神さまと心通わせるようになること、これが救いだと聖書は伝えています。もう少し身近な言葉に直すなら、苦しい時、道がひらかれる時もなかなか開かれない時もありますが、どんな時でも祈ること、賛美すること、礼拝すること、神さまと繋がっていること、これが救いです。

 人間同士でも同じですよね。病気が治るとか、問題が解決するとか、それらはもちろん嬉しいことです。でも、もっと根本的に大切なのは、病気になっても、苦しい試練があっても、そういう中で支えてくれる仲間がいること。苦しい時には助け合えること。そういう繋がりがあることが幸せですよね。

2019年7月14日 園部会堂

《説教要旨》「天下にこの名」使徒言行録4章1-12節

片岡広明牧師

 今日の箇所を読んでいて、「天下一品」のラーメンのことを思い出しました。初めてあの味にふれたのは京都で学生だった30年以上前のことですが、あのこってりとした濃厚な味を開発された方が自信をもってその名をお付けになったのだろうと思います。

 聖霊を受けたイエスの弟子たちが「イエスは生きておられる」と力強い証しをもって宣教を開始し、ペトロは「わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」と確信に満ちて語りました。その確信は反対者たちからどんなに脅されても決して揺らぐことがありませんでした。以来、教会はつねにこのイエスのみ名を信じ、イエスのみ名によって立ち、宣教の業に励んできたのです。

 6月最終主日は京都教区と韓国基督教長老會大田老會との交流を覚えて祈る日です。日本と韓国・朝鮮との間には植民地時代の辛い歴史があります。植民地支配によって韓国・朝鮮の人々に多くの苦しみを与えてきた日本の罪を思います。韓半島に移住して苦しい生活をされた方々のことをも思います。共にイエスを主と仰ぐ信仰によって交流が生まれ、20年を越えてその交流が続けられていることは、神様が与えて下さった大きな恵みです。主イエスのみ名によってわたしたちは結ばれているのです。ここにも主イエスのみ名の大いなる力が働いています。主のみ名の力はあらゆる苦難から私たちを救うのです。

2019年6月30日 園部会堂

《説教要旨》「神の招き・人の都合」ルカによる福音書14章15-24節

宇田慧吾牧師

 今日の聖書は宴会に招かれた人たちが自分の都合でその招待を断ってしまうお話でした。言葉通りに受け取るなら、宴会の招待は断らないように!という教訓になりますが、これは聖書であり、たとえ話です。

 招いているのは神さま、招かれているのは私たちです。毎日の生活の中で、神さまからの招きに応えられているだろうかと問いかけられます。招きを断った人たちの理由は、それぞれもっともらしいものでもありましたが、やや自分の都合にとらわれすぎているようにも思えます。

 今日は大阪から来てくれた青年がいて、朝早く園部に着いたので一緒に今日の聖書箇所を読んで分かち合いました。私が感じたことは、神さまの招きをないがしろにしているとまでは思わないけど、人生で初めて神さまの招きを感じた時に、応えようと思った時の気持ちに比べると、だんだんと惰性的になっているかもしれないということでした。

 また、彼は真剣に求道していた時代に、財布と毛布だけの持ち物で四国の山を歩いたそうです。その途中でたまたま出会った教会に2年間住み込んで奉仕をし、今の自分があるとのことです。

 今ここに集っている私たちも、神さまに初めて招かれた時があったかと思います。その時の神さまへの全くの信頼、すべてを委ねようと決意した気持ち、神さまの導きの内に安らぐ気持ち、そんな気持ちを思い出したいと思います。

2019年6月23日 園部会堂

6/21(金)坊主牧師バー@園部会堂のお知らせ

今月21日金曜日に今年初の坊主牧師バーが開催されます。
坊主牧師バーでは園部会堂の宇田牧師がバーテンダーとなり、皆さんをおもてなしいたします。今まではCocoCan@新屋さんを会場にお借りしていましたが、今回は教会で行いますのでお間違いなく!前回の参加者は15名ほど、約半数が地域の方でした。クリスチャンでない方、教会に行ったことのない方、大歓迎です^^

時 間:6月21日(金)17:00~21:00
場 所:丹波新生教会園部会堂(園部町美園町3-13-2)
費 用:飲み放題1,000円/ソフトドリンク飲み放題500円、気まぐれ定食500円(数量限定)

これまでの様子はインスタグラムでご覧いただけますので、是非チェックしてみてください(園部会堂のインスタはこちら)。
初めて教会に来られる方にも、気軽に楽しんで頂けるイベントになれば幸いです。

《礼拝の聖書箇所から》ヨハネによる福音書6章34-40節

宇田慧吾牧師

 昨日、家庭集会で断食についての話題がありました。聖書には時々、断食の話が出てくるのですが、断食ってなんのためにするんだろうね、と。その日のバイブルディスカッションを準備してくれた方がレジュメに書いてくれていた解説には「断食をすることには、私たちを神に近づける目的もあります」と書かれていました。もう少し引きつけて言うと、全てが満ち足りている時には神さまを忘れがちになりやすいから、飢えを経験することで、いただいている恵みを思い出すといったところでしょうか。
 現代の日本における最大の試みは豊かさだと言った人もいます。格差や貧困問題がある一方で、今の日本が過剰に物に溢れていることも事実かと思います。そのような物質的な豊かさが私たちの心をいつも満たしてくれるわけではないということは、当然のことでありながら、つい忘れがちになることでもあるように思います。ごはんを食べなければ飢えるのと同じように、心の糧を得なければ心は虚しくなります。もし人との温かい交流や感謝の心、思いやり、素朴な喜び、そういった心の糧がなければ、その日ごはんを食べなかったのと同じように心は飢えてしまいます。

 キリストは「わたしが命のパンである」と言いました。キリストは私たちに必要なその心の糧です。私たちはそれぞれ心を元気にする方法を持っています。好きな物を食べるとか、趣味に興じるとか、とにかく寝るとか。そのような余暇活動はもちろん心をリフレッシュさせる良いものです。でも、心を満たす糧かというと、また違うように思います。人の心を満たす糧は、余暇に比べれば、地味でささやかなものかもしれません。けれども、生きるためには食べなければいけないのと同じように、また時には心のリフレッシュが必要なのと同じように、生きるためには心を満たす糧が必要です。その心の糧とは何なのかをキリストは私たちに気づかせたり、思い出させたりしてくれます。

 今日はヨハネ福音書を読んでいますが、ヨハネ福音書には何度も繰り返し出てくる言葉があります。「わたしが来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである」。今日の聖書箇所にも出てきていました。キリストが私たちに教えてくれる第一の心の糧は「神の御心に生きること」です。神の御心はシンプルです。神さまに愛されていることを喜ぶこと。神さまが私を愛してくれたように、人を愛すること。神さまが私を赦してくれているように、人を赦すこと。感謝を持って生きること。などなど。
 キリストは「わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決して渇くことがない」と言いました。人生の途中には、心の飢えを経験することや心が渇く時もありますが、キリストの側にいれば大丈夫です。

 最後に、昨日の家庭集会で聞いた福音をおすそわけします。集まりの最初に、最近あった嬉しかったことを一人ずつ報告するのですが、特に一人の方の話が印象的でした。その方は先月手術を受けました。術後も体の痛みがあって、そういう中でなかなか祈ることができなかったそうです。こういう時こそ祈りをもちたいと思いつつ、祈りを持つことができない苦しさをすごされました。けれども、昨日こんな本の言葉に励まされたそうです。
 「絶望的な状況にいるとき、神様からのメッセージは「強く、また雄々しくあれ」(ヨシュア1:6)というものではありません。神様はあなたの中で力も勇気もつきてしまったことをご存知なのですから。代わりに神様は優しくこう言われます。『静まって、わたしこそ神であることを知れ』」。
 祈ることができない時、心が虚しくなる時、心が渇く時、こういう時が与えられるのは神さまを知るためです。神さまは私たちの心が満ちているのか、飢えているのかをいつも知ってくれていて、必要な時に心の糧をくださいます。

キーワード:「心の糧」
      「神の御心に生きる」

2018年5月12日 園部会堂

《礼拝の聖書箇所から》ルカによる福音書24章36-43節

宇田慧吾牧師

 昨日は記念会があって、そのお宅がキリスト教と接点を持つようになった時のことをふりかえりました。今回の記念会で偲んだ方の祖父にあたる方が、近所の人たちと囲碁をしていたそうです。その中にお坊さんと牧師もいて、そこで牧師と接するうちに、洗礼を受けたいと思うようになりました。その方はお坊さんの所に行って、洗礼を受けたいけどよろしいですかとお伺いをたて、お坊さんも許してくださり、洗礼を受けたそうです。小さな集落でのことでもあったので、その後もお寺との関わりも丁寧にお続けになり、その結果、そのお寺の鐘には卍と十字架が並んで刻まれているそうです。

 「平和があるように」とキリストは言いました。和を保つことの大切さは、誰もが認めることですが、実際にそれを実践するのは簡単でない時もあります。互いに善意をもって関わっている時でさえ、心がすれちがったりすることも珍しいことではないと思います。

 キリストは「平和があるように」と言った後、自分の手と足を見せました。十字架にかかって復活した後の場面ですから、その手と足には釘打たれた跡があったことでしょう。この手足の穴は、神が人と和を保つためにご自身が深く傷つくことを選んだ印です。

 人と和を保とうする時には、忍耐が求められますし、深く傷つくこともあります。それは本当にしんどいことでもあります。お恥ずかしいことに、私自身はそのような時、心の壁をつくって他者を遠ざけたり、相手を責める言葉を心に並べて、自分の心を守ることしかできないことも少なくありません。和を保つため、ご自身が傷つくことを選んだキリストの僕として、私は神さまに申し訳ないと思います。

 いつも常にというのは難しいかもしれませんが、大切な時、ご自身が傷つくことを選んだキリストの生き方に思い起こしたいと思います。

キーワード:「平和があるように」
      「手と足の傷」
      「和を保つため自分が傷つくことを選んだ」

2019年5月5日 園部会堂

《説教要旨》「下り道で気づく」ルカによる福音書24章13-35節

宇田慧吾牧師

 人生の大切な出会いは、いつも「下り道」にあったように思います。 以前、あるセミナーで講師の方が、自分の経歴を紹介した後、「裏経歴」 を話しました。(表?)経歴は東大卒、有名企業に就職、結婚、起業で成功。 一方、裏経歴は、浪人生活、リーマンショックの影響で解雇、離婚、借金。 それから彼は「裏経歴の経験が私を成長させてくれました」と語っていまし た。  人生の中の成功や輝かしい経歴は、もちろん人に自信や喜びを与えてくれ る良いものです。一方、人には隠しておきたい裏経歴もまた、場合によって は人生への深い気づきや真の意味での成長を人に与えてくれるものでもあり ます。

 聖書に描かれる人々も、成功や充実といった「上り道」ではなく、失意や 行き詰まりといった「下り道」で神に出会っています。今日の聖書の物語に 描かれている二人も同じでした。

 この二人が「上り道」でキリストにかけた期待は「力ある王」「勝利」で した。一方、「下り道」で彼らが気づいたのは、どんな時も変わらずキリス トが一緒にいてくれることでした。

 彼らが経験した通り、キリストは「下り道」を歩いている人の側に来て、 一緒に歩き、一緒に語らい、一緒に食事をして、心の目を開きます。二人の 心の目が開いた時、キリストの「その姿は見えなくなった」そうです。その 理由は、もう見えなくても大丈夫だからと言われます。

 私たちが「下り道」を歩く時、キリストが来てくれます。一緒に歩いてく れます。そして、心の目を開いてくれます。

2019年4月28日 園部会堂

〈説教要旨〉ルカによる福音書23章32-43節

宇田慧吾牧師

 キリストは十字架にかけられた時、「自分を救ってみろ」と罵られました。中でも一緒に十字架にかけられた犯罪人からは「救い主ではないか。だったら苦しんでいる私のことも救ってみろ!」と言われました。そのような罵りに対して、キリストは沈黙していました。

 現代にも同じような叫びがあるように思います。「神さま、どうして私を救ってくれないのですか」。「神さま、どうしてこの世の悪を取り除かないのですか」。

 この問いに対して聖書が語ることは、神はイエス・キリストによって答えたということです。イエス・キリストは、一緒に十字架につけられているもう一人の罪人に「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言いました。どうして十字架刑に処せられているただ中で、楽園と言えるのでしょうか。

 聖書の伝えようとする救いは、私たちが一般にイメージしている救いとは異なります。私たちがイメージする救いは、苦しみや問題を取り除くという意味の救いですが、神の救いは苦しみを共にする救いです。

 クリスマスには、神はインマヌエル(私たちと共におられる神)であることを聖書から受け取りました。この受難節には、神が私たちの苦しみを共にしていることを受け取ります。イエス・キリストが十字架で苦しんだのは、私たちの苦しみを共にするためでした。また、そのような苦しみの中にあっても、神との心の絆が失われないことを証しするためでした。

 十字架で息を引き取る直前、キリストは「父よ、わたしの霊を御手にゆだねます」と告白しました。キリストは深い苦しみの中でも神への信頼を失うことはありませんでした。この姿を見届けた百人隊長、群衆の心に不思議な変化が起こりました。

【キーワード】①神は私の苦しみを共にしている。
       ②苦しみの中で、他者の苦しみに寄り添う。
       ③苦しみの中で神に信頼し、すべてを委ねる。

2019年4月13日 園部会堂