最近のことなど 宇田慧吾牧師

 家族で夕飯を食べる時、3歳の娘が「『いただきます』はつくってくれた人にありがとうっていうことだよね」と尋ねました。「それもあるし、あと食べ物を育ててくれた神さまにもありがとうだよ」と私。すると娘はやや真面目な顔で「パパ、神さまはお野菜育ててないよ」とのこと。庭で一緒にトマトを育てたこともあり、野菜を育てたのは「私」という自負があるようです。そんな話を農家さんたちにしたところ、野菜つくりにおいて神さまは「日照りとか豪雨とかいろんな試練もお与えになる」とのことでした。

 また別の日に娘と公園を歩いていると、道端にハトの亡骸がありました。「ハトさんどうしちゃったの?」と娘。このハトはもう死んでしまったこと、命あるものはいつか必ずそうなること、娘やパパやママも必ずいつかはそうなることを話しました。「いやだ、こわい」と言うので、「大丈夫。その時は神さまが迎えに来てくれて、イエス様が一緒にいてくれるよ」と話すと、神妙な面持ちで「そうなんだ」と吞み込んだ様子でした。用事を終えた帰り道、ハトがいなくなっていました。「いなくなった!神さまが迎えに来てくれたんだ!」と嬉しそうな娘。私は内心「カラス?猫?」。

 

2022年9月

《説教要旨》「クリスマスおめでとうございます」

宇田慧吾牧師


 クリスマスの出来事が「住民登録」の話で始まることをご存じでしょうか。キリストが生まれた頃、初代ローマ皇帝アウグストゥスにより住民登録の勅令が発せられました。アウグストゥスが皇帝となった後、ローマは千年に渡る歴史を築きました。

 そんな栄えた国の片隅で、人知れず赤ちゃんが生まれました。両親は例の住民登録のため100km以上に渡る旅の途中でした。生まれた赤ちゃんは飼い葉桶に寝かせられました。寝かせられたのがベッドでなかったのは「宿屋には彼らの泊まる場所がなかったから」と書かれています。

 この赤ちゃんのもとに最初に訪れたのは羊飼いでした。彼らはその頃、野宿をしながら夜通し羊の番をしていました。「野宿で夜通し」とはいかにも大変そうな仕事です。

 どんなに国が栄えても、その片隅に、その夜に、様々な人が生きています。それは今も昔も同じことかと思います。聖書が伝えるクリスマスは、その片隅に、その夜に、救い主が来てくれたという出来事でした。

 ちなみに私が救われたのもクリスマスの頃でした。当時高校3年生の私は友人や家族にも恵まれ、とても充実した境遇にありました。その一方で、心の中に言いようのない孤独感や虚無感がありました。ある時、その心の寂しさに神さまが寄り添ってくれていることを感じ、救いを実感しました。

 皆さんの心には「片隅や夜」がありますか?

 もしあるなら幸せです。キリストはそこに来て、いつも共にいてくれます。


2021年12月

《説教要旨》「帰るかもしれない」エレミヤ書36章1節-10節

片岡広明牧師

 アドベントの小さな光がふたつ輝いています。ろうそくの光はほんの小さな光ですが、闇の中では小さな光も豊かな輝きを放ちます。先週は久しぶりに聖餐に与りました。小さなひとかけらのパンと小さな杯によって、何にも換えがたい大きな生きる力を与えられるとは不思議なことです。

 エレミヤは古代イスラエルの歴史の中でも南ユダ王国の末期からバビロン捕囚へと至る激動の時代を主の預言者として生きた人でした。エレミヤは涙の預言者と呼ばれます。エレミヤの預言者としての悲しみは、神様のみ言葉をどんなに力を込めてユダの人々に語っても、一人も耳を傾けようとする人がいなかったという孤独の悲しみでした。エレミヤはまことに小さくされた存在でした。しかしエレミヤの偉いところは、どんなに人々が神様のみ言葉を聞こうとしなくても、決して投げ出さず、諦めなかったことです。神様はエレミヤに、言葉を巻物に書き留めよと言われます。エルサレム神殿に出て行くことすら赦されていなかった、迫害の中にあったエレミヤですが、巻物を弟子に託して神様の言葉を人々に知らせようとしたのです。その巻物も悪逆非道な王に焼き捨てられてしまうのですが、それでもエレミヤは諦めず、二巻目の巻物の制作に取りかかり、それがエレミヤ書の言葉として残されていくのです。エレミヤの働きは、闇の中に小さな灯りを点すようなものでしが、やがてエレミヤが聞いた神様のみ言葉は後々にまで伝えられ、キリストの誕生にまで至る救いの歴史をつないでいくのです。

 12月第1日曜日は社会事業奨励日です。社会福祉や医療、教育といった分野で教会はこの世で弱く小さくされている人々に寄り添う働きを担ってきました。わたしたち自身の日々の歩みも、世界を覆い尽くす闇の中に小さなゆっくり火をわずかに一つずつ、ゆっくりと点していくような歩みですが、必ずそれは全世界を照らす神様のみ光を映し出すものとなっていくことと信じて、今年のクリスマスを待ち望みたいと思います。

2021年12月5日

最近のことなど 宇田慧吾牧師

 娘が2歳になり保育園に通い始めました。はじめは泣きながらの登園でしたが、最近は朝起きると「保育園行く?先生待ってる?」と登園をせがみます。家に帰ってくると、保育園でおぼえた歌を披露してくれます。毎日ご機嫌の様子でありがたいことです。

 NPO法人そのべるは京都府の居住支援法人の指定を受け、住まいの確保に課題のある方のサポートを始めました。今請け負っているケースでは行政等が丁寧に連携してくださるので、勉強させていただきながらスタートできています。困難なケースでは、できることの少なさを申し訳なく思うこともありますが、与えられた出会いに丁寧に向き合っていければと思います。

 船南の礼拝では使徒言行録をしばらく継続して読むことにしました。5月30日の礼拝で読んだ次の言葉が心に残りました。「あなたがたが十字架につけて殺したイエスを、神は主とし、またメシアとなさったのです」(2章36節)。ペトロの説教の締めくくりの言葉です。仕事、子育て、家族など、若く自由であった青年時代より大切に思えるものが増え、同時にせわしなさも感じる中、自分の軸としてキリストが「主・メシア」でいてくださることを心強く感じています。

 最近、地域の青年と話す中で「悲しい出来事をどう受けとめるか」という話題がありました。「途中には悲しみやしんどさがあっても、最終的には神さまが良きに計らってくれるとぼくは信頼している」と話すと、うんうんと頷いてくれました。

2021年6月6日

最近のことなど 宇田慧吾牧師

 先日、教会員のご家族が逝去され、葬儀の司式をしました。御年88歳、既に余命宣告も受けていましたので、ご親族も心の準備をしたうえでの葬儀であったと思います。

 納棺式の時、ご親族が故人の好きだったものを棺に入れました。愛用のジャンバー、帽子、草刈りに使っていた鎌、コロッケ、パン、ポテトチップス、煙草、天童よしみのポスター。最後に飲み物もあった方がいいねと缶コーヒーを買って入れました。

 ご遺族は故人について「とにかくまじめに、一生懸命生きてきた」と話します。お仕事は一つの製材所に40年以上勤められました。私生活においては、親戚の子どもたちをかわいがり、兄弟が相続した家の農地の草刈りを黙々と続けました。お年を召され、草刈りに通えなくなると、近所の人が気づくほどに、いつもきれいにしておられたそうです。

 納棺の時、特に親しくすごしたご親戚が「エイちゃん、エイちゃん、ありがとう」と、たくさんのものを棺に入れる様子を見ながら、故人は幸せな方だなと思いました。

 牧師として葬儀に立ち合わせていただく度に、人生の時間には限りがあるということを意識させられます。あたり前のことではありますが、限られた人生の時間を丁寧に大切に生きようと思わされます。

「生涯の日を正しく数えるように教えてください。
 知恵ある心を得ることができますように。」詩編90:12

2021年2月21日

《創立(合同)50周年記念礼拝にあたり》

宇田慧吾牧師

 50年前、丹波新生教会が生まれる時に2冊の書物がしたためられました。亀岡教会の43年の歩みを綴る『亀岡教会史』、丹波教会の85年の歩みを綴る『開拓者と使徒たち』です。両書には口丹波伝道に献げられたキリスト者たちの生き生きとしたドラマが記録されています。

 『亀岡教会史』のまえがきには村上英司牧師の言葉が記されています。「私はこの教会史を手にして、心から喜んでいます。それは亀岡教会の43年の終わりの書ではないからです。この教会史を読んで、早く誰かこのあとを書いて見せてくださいと、ねだりたい気持ちにかられるからです」。

 『開拓者と使徒たち』には青年たちが発行していた「あめんどう」という雑誌の文章が引用されています。「記念事業…それは休火山が、かつて活火山であった時代をなつかしむ哀れなとむらいの祭事としか映らないのです。…私たちにとって必要なのは、かつての活火山をなつかしむ事ではなく、…山をも動かす信仰の力でこの活火山に再び火を真赤な溶岩を噴出させることなのです」。この言葉に対し、著者であり役員であった船越基氏は次のように応えました。「人間は誰でも弱い者である。不完全なものなのだ。みんなそれぞれに十字架を負ってなやみながら人生行路を歩み続けているのである。自分の弱さを自覚し、神によりすがって生きて行くこと、そのことに人生の意義があると信じて私は明日も教会の門をくぐるであろう。わたしは死火山でありたくない」。 モーセは40年の旅路の終わりに、ネボ山の山頂から約束の土地を見渡した時、「あなたは、そこに渡って行くことはできない」と主に命じられ、そこで葬られ、旅の行く末を次の世代に託しました。私たちの信仰の先達もまた、旅の行く末を次の世代に託しました。今も天で旅の行く末を見守り、支えてくれていることでしょう。

2020年9月27日

《説教要旨》「キリストに結ばれて、律法から解放される」 ローマの信徒への手紙 7章1-6節

宇田慧吾牧師

 この手紙を書いているパウロは、律法に従って生きるエリートでした。けれども、キリストに出会ってから、過去の自分を振り返ってみると、律法に「縛られていた」ことに気づきました。律法を貫徹しているという高慢な自尊心や他者に対する過度な裁きに縛られていたのでした。パウロはキリストとの出会いをきっかけに、その律法の縛りから解放されていきました。かつてのパウロは「正しく生きること」に一生懸命であった一方、自分の「正しくあれなさ」に向き合うことを見落としていたようです。パウロはキリストが十字架にかかった出来事と向き合う中で、神が自分の罪を赦し、その赦しのために十字架の痛みを引き受けてくれたことを知りました。その気づきをきっかけにパウロは律法に縛られる生き方から解放されていきました。

 その後の変化についてパウロは「死に至る実」を結ぶ生き方から「神に対して実を結ぶ」ように変えられたことを語っています。自分を正しい者として、自尊心を膨らませ、他者を厳しく裁いていくと、最後は自分の正しくなさに対する裁き、自己否定につながっていきます。逆に、自分の罪を受け入れ、忍耐や寛容や赦しをもって関わってくれている神や周囲の人の存在に目を開かれると、感謝の気持ちが生じてきます。

 特に想いをもって人と関わる時や自分と深く向き合う時には、相手を責める気持ちや「こんな自分ではいけない」という気持ちに縛られることがあります。その縛りからキリストは私たちを解放してくれます。

 2020年8月30日 亀岡会堂

《説教要旨》「平和を追い求めよう」ローマの信徒への手紙14章10-23節

片岡広明牧師

 8月第1主日は平和聖日です。8月は戦争と平和について考え、祈る月です。1945年8月6日に広島原爆投下、続いて9日には長崎原爆投下、そして15日にはついに敗戦の日を迎えました。戦争はかけがえのない命を奪い、大切な財産を奪い、自然を破壊し、文化を破壊します。第二次世界大戦終結から75年が経過しました。75年とは四分の三世紀、ひとつの節目となります。もはやその時代を知らない人のほうが多くなりました。戦争の怖さ、恐ろしさ、愚かさを、聞いてわかっているつもりでも、実体験をもたないのです。あの時代を経験した人であればこそ、「二度とあんなことを繰り返してはならない」との思いを強くすることができるのです。語って下さる方々の声に耳を傾けて聞き、何があったのか、何が間違っていたのか、そしてその時代の教会はどうしていたのか、歴史を学んで、その学びの中から今に生かす知恵を学び取ることは大切なことだと思います。

 今日は平和聖日にあたり教団戦責告白を読みます。教団戦責告白は、正式には「第二次大戦下における日本基督教団の責任についての告白」と言います。教会も人の集まりですから、大勢の人々の知恵と力と祈りを合わせても時代の流れに抗しきれない限界があったのです。教会が戦争協力をした、そのことを重い罪として神様の前に素直に告白し、赦しを願い、心を入れ替えて回心し、新たな出発をしようとして戦責告白を表した方々の努力は大変な困難を極めたのです。戦責告白が出されるまでに戦後22年もかかったという事実がその葛藤の深さを表しています。話し合いを重ね、過去に自分たちが犯した戦争という重く大きな罪と真摯に向き合って、戦責告白が出されたのです。教会の押本年眞さんが『旧園部会堂と太平洋戦争』という文章を書いて下さいました。園部会堂は戦時中の一時期、軍に接収されていたのです。戦時中の教会の苦難がそこにもありました。その時代に教会を守って下さった信仰の先達者の方々のご苦労を思います。

 今日のローマ書のパウロの言葉に「平和や互いの向上に役立つことを追い求めようではありませんか。」とあります。私たちも平和のために祈り、神様が与えて下さる真の平和のために奉仕する者とならせていただきたいと思います。

2020年8月2日 平和聖日、亀岡会堂

《説教要旨》「偽りのない愛」ローマの信徒への手紙12章9-21節

宇田慧吾牧師

 先々週までは、どうして神さまに見捨てられたと感じるような経験をするのかが語られていました。それは次の三つを知るためとパウロは答えました。

①他者に支えられていることを知るため

②神に支えられていることを知るため

③神の計画・神の道を知るため(短期的にはマイナスに思えるような出来事も長い時間をかけて恵みに変えられる)

 先週からはテーマが変わり、神の恵みへの応え方が示されていました。まず「神に自分を献げて生きる」ことが勧められていました。また、自分を献げるうちに不思議と自分が変えられていくことが語られていました。

 実際にどのように変えられていくかが今日からしばらく続くテーマです。今日は「偽りのない愛」に生きられるように変えられていきますよと語られていました。偽りのない愛の例として、見返りを求めず、敵を赦し、他者に共感する愛が挙げられていました。そういった愛を心から実践することの難しさは自明です。自分の力でそのような真実の愛に生きることは難しいことですが、キリストにつながって生きるうちに自ずから変えていただくことができます。それは、そのような偽りのない愛をキリストから受け取ることができるからです。

2020年7月26日 園部会堂

《説教要旨》「沈黙して、神に向かう」詩編62編2節

宇田慧吾牧師

 「聖コロナ神学院」は卒業されましたか?新型コロナウィルスの経験によって何を学ぶことができましたか?私は日常への感謝を新たにすることができました。園部で3週間ぶりにみんなで集まって礼拝した時、こうして集まって礼拝できるのはありがたいことなんだなとしみじみ感じました。コロナの「せいで」ということももちろん多くありましたが、コロナの「おかげで」ということもあったことを忘れずに確認しましょう。

 本来なら5月17日は丹波新生教会の創立記念日で、記念礼拝がもたれるはずでした。50年間、神さまが導いてくれたという感謝と共に、教会に罪があり続けたことを反省しておきたいと思います。十数年前、丹波新生教会は「ややこしい教会」と噂されていたそうです。複数会堂で共同牧会という特殊さからくる競争心や人間的な選り好みが原因であったようです。競争ではなく共存を求めること、心情ではなく信仰によって受け入れ合うこと、これらが私たちの教会が祝福を受けるキーポイントであるようです。

 私もこの教会に来て3年が経ち、4年目は何を大切にすごそうかなと祈った時、「沈黙して、神に向かう」が示されました。詩編62編を詠んだダビデは王位を継承するという立場にあって、人間的なトラブルにたくさん巻き込まれました。そんなダビデは人の二面性からくる苦しみをなめつくすと共に、そういった人の争いは「空しいもの」「息よりも軽い」と言います。逆に、「沈黙して、神に向かう」ことには確かな支えがあることを詠っています。愛する兄弟姉妹の皆さん、「沈黙して、神に向かう」ぜひこの一年、一緒に実践しましょう。

2020年6月7日 亀岡会堂