「召命」8 宇田慧吾牧師

 1月から半年間に渡って召命について考えてきました。これまでの歩みを振り返ると、つくづく神さまの導きを感じます。また振り返る中で、繰り返し思い出した言葉がありました。まだ神学生の頃、自分は牧師になれるのか迷っていて、一人の牧師に尋ねたことがありました。「先生はどうして牧師になったのですか」と。するとその牧師は「分からない」と答えました。その言外の意味は「どうして牧師になったのかについて、自分の側にはいろんな理由がありもするけれど、それは自分の考えにすぎず、本当の理由は神さまにしか分からない」というものでした。

 今は私も「分からない」と思っています。なぜ今の自分にこういう人生が与えられているのか、その理由は神さまだけがご存じなのでしょう。ただ、神さまはその道のりを温かい心で導いてくれていて、その一歩一歩を見守ってくれていると信頼しています。

 召命 = 神に呼ばれ、役割を与えられること


 いま、私たちそれぞれに与えられている役割を謙虚に受けとめ、役割を果たしていくことができますように。気負うことなく、素直に生きることでその役割を果たしていくことができますように。今日一日を与えられた役割に感謝して歩めますように。(完)

宇田慧吾牧師
2024年6月22日

「召命」7 宇田慧吾牧師

 教会に地域のこども達が遊びに来るようになると、不登校やひきこもりの相談を受けるようになりました。そして不登校の中高生やひきこもりの青年等と遊ぶことが私の日課となりました。一緒に料理やゲーム、麻雀、野外活動などをして過ごしました。今では彼らの多くは就職し、大学に進学し、それぞれの人生を歩んでいます。

 ある時ふと、神さまの導きは不思議だなと思いました。自分は保育園や児童館での仕事から離れたくて転任し、今の教会に来ました。けれども、結局こどもと関わる活動を毎日している。しかも、保育園や児童館で働いた経験が今の活動に生かされている。ひょっとしたら、これは自分で選んだことではなく、神さまが選んだことなのかなと思わされました。

 その後、こどもの居場所つくりの活動で様々なこども達と出会ったこと、自分も子育てをするようになったこと、近所にキリスト教のこども園が開園したこと、そんな経験を重ねる中で、児童福祉にもっと深く関わっていきたいという気持ちを与えられました。それで、保育士の資格を取り、保育園で働くようになりました。

 保育園では時々「どうして保育士になったの?」と尋ねられます。だいたいいつも「まあ、いろいろありまして」と答えます。教会で尋ねられたなら「はい、神さまの導きで」と答えるわけですが。

 神さまの導きはいつも意外です。でも、そんな不思議な導きに信頼し、備えられた道を歩いていくのは案外楽しいものです。(続く)

宇田慧吾牧師
(2024年5月25日)

「召命」6 宇田慧吾牧師

 園部会堂の近くには小学校、中学校、高校があり、教会の前をたくさんのこども達が登下校で通ります。小学生の下校の際にはヌーの群れの大移動のごとく、教会の前の通りがこども達でいっぱいになります。そんな地域のこども達が教会に訪れるきっかけとなった出来事が二つありました。


 一つは、こどもの頃に家庭の事情で寂しい思いをしていたという方のお話をうかがったことでした。その方もこどもの時は教会の前を登下校しており、なんとなく教会に行ってみたい気持ちを持っていたそうです。でもきっかけもなく、ようやく教会に来れたのは大人になってからだったそうです。そんなお話をうかがい「いま教会の前を歩いている子たちの中にも、ひょっとしたらそんな子がいるかもしれない」と思いました。そこで、教会の前に「誰でも遊んでいいよ」と書いたカフェボードを立てました。


 もう一つは教会に卓球台を置いたことでした。教会員の息子さんが卓球を始め、教会で練習できたらありがたいとの相談がありました。日曜以外は誰も使っていない部屋ですので、喜んで承諾しました。すると、中学校の卓球部の子たちが部活の後に来るようになりました。ある日、私はその子たちに唐揚げを作りました。すると翌日はバスケ部の子たちも来ました。私はまた唐揚げを作りました。さらに翌日には野球部の子たちも来ました。気づくと中学生男子20名程に唐揚げをふるまう事態となっていました。そして、その友達や弟、妹も遊びに来るようになり、あっという間に月のべ200名程が教会に遊びに来るようになりました。(続く)

宇田慧吾牧師
(2024年5月12日)

「召命」5 宇田慧吾牧師

 ひょんなことから保育園と児童館がある教会に赴任し、そこで働くこととなりました。当時の私は特にこどもが好きという訳でもありませんでした。けれどもすぐに、こども達のおもしろさや成長の喜びを感じるようになりました。特に、ちょっと手のかかる子について、かつての自分もそうだったためでしょうか、特別な親しみを感じました。3年務めて退職する時には、小学生の彼らがプレゼントをくれました。それは丁寧に作ってくれた雑草の押し花のしおりや自分が大きく写った写真やいかついドクロのキーホルダーでした。どれもちょっと不思議な贈り物でしたが、彼らと過ごした時間は今でも昨日のことのように思い出せます。

 3年で退職したのにはいくつか理由がありました。まず、正教師試験に合格し、伝道師(補教師)の期間を終えたこと。次に、もう少し教会の仕事をしたいと思ったこと。保育園・児童館での仕事は楽しく、学びも多いものでしたが、フルタイム勤務していたため、教会の仕事は日曜日だけでした。

 人事担当の牧師に「①付帯施設のない教会、②経済的課題を抱えている教会」に行きたいと伝えました。結果、紹介されたのが丹波新生教会でした。着任すると、おそろしく持て余す日々が始まりました。最初の半年間、平日はほとんど誰も教会に来ず、電話も鳴りませんでした。やることがなくて教会の隣のハローワークから出てきた青年に声をかけて、お茶をしたりしていました。まだその頃は、教会の駐車場が地域のこども達の自転車でいっぱいになる日が来ようとは思ってもみませんでした。(続く)

宇田慧吾牧師
(2024年4月21日)

「召命」4 宇田慧吾牧師

 半年ほど前から保育士として働き始めました。慣れない仕事ですが、周囲の先生方に支えられながら何とか楽しくやっています。思い返すと、こうして保育士として働くようになったのも、神さまの不思議な導きによります。


 事の始まりは、将来は自給伝道をしたいという気持ちを与えられたことにあるのかもしれません。まず、神学生としていくつかの教会に通う中で教会が経済的な課題で嘆いている様子を見てきました。牧師に家族がいる場合、教会の経済的課題は牧師の家族に影響していくことも知りました。その一方で、献金を一切受け取らないことでその働きの純粋さを示している宗教者がいることも知りました。たぶんそういった出会いの中で、自分は牧師としての奉仕は無償で行い、生活と家族を守るための収入源は別の職業で持ちたいという気持ちを持つようになったように思います。


 牧師の試験を受けた時はパン屋で働いていました。無事に試験に合格し、引き続きパン屋で働きながら教会を創ろうと友人と準備をしていました。ところが、当時お世話になっていた牧師からある教会に赴任してほしいという話を受けました。その教会に赴任する予定だった人が行けなくなったので代わりに行ってほしいとのことでした。学生時代どうしようもない青年だった私を支え続けてくれた牧師からの話であったので断ることはできず、3年だけ我慢して、それが終わったら今度こそパン屋で働きながら教会を創ろうと決めました。そして、赴任した教会には保育園と児童館があり、そこに勤務することとなったのが私の児童福祉との出会いでした。(続く)

宇田慧吾牧師
(2024年4月7日)

「召命」3 宇田慧吾牧師

 前回、ベックさんに牧師の召命について相談をしたところまでお話しました。その時ベックさんはサムエルの話をしてくれました。神さまがサムエルに語りかけた時、サムエルは誰から語りかけられたのか分からなかった。その後、もしまた呼びかけられたら「主よ、お話しください。しもべは聞いております」と答えるよう祭司に教えられた。そして次はそうに答え、神さまの語りかけを受け取ることができた。そんなサムエルの話をした後、ベックさんが言いました。「サムエルのように待っていたら、神さまが語りかけてくれるかもしれない。それがいつなのか人には分からないけど、ひょっとしたら…、今日かもしれない!」。


 帰り道、神さまが語りかけてくれるまで待とう。待っていれば良いんだ。そんな清々しい気持ちで歩きました。また、自分にとって重要なのは、牧師になるかどうかではなく、神さまから与えられた役割を生きることだという気持ちに着地していました。


 きっとダライ・ラマ6世が還俗したのも、ベックさんが牧師の資格を返上したのも、職責より重要な召しがあったからなのでしょう。また、高僧ではなく一人の俗人として生きることで、制度上の牧師ではなく一信仰者として生きることで、彼らは深く人に寄り添っていると私は感じました。ベックさんに出会い、テツさんからダライ・ラマ6世の話を聞き、私は「いつか自分も還俗しよう」と思いました。それは私も彼らのように、制度上の職責より召命に素直な宗教者になりたいという気持ちでした。(続く) 

宇田慧吾牧師
(2024年3月3日)

「召命」2 宇田慧吾牧師

 前回「いつか自分も還俗しよう」と思ったことをお話しました。(還俗:僧を辞め俗人に戻ること) なんでそう思ったのか思い返すと、その理由の一つにはベックさんとの出会いがありました。


 ベックさんとは吉祥寺にあるキリストの集会という所で出会いました。この集会を教えてくれたのは、前回お話した飛行機でたまたま隣の席に座った日本人でした。インド人がひしめく飛行機の中で隣の席に座ったのが、たまたま日本人であっただけでなく、近所に住んでいる人であり、母親がクリスチャンの人でした。私はカバンを持たず、ポケットにパスポートと財布と歯ブラシだけを入れ、手に聖書を持って旅をしていました。飛行機の背もたれのラックに聖書が入れているのを見て、教会の話になり、彼女は自分の母親が通っている吉祥寺キリスト集会を紹介してくれました。話によると、そこにはドイツ人のベックさんという人がいて、その人はドイツで牧師の資格を返上して日本に渡り、キリストの集会を始められたとのことでした。


 帰国後、その集会を訪ねました。教会っぽくない建物の中に集会所があって、200名ほど人が集っていました。礼拝の式次第は教団と変わりなく、普通に礼拝が進んでいきました。ただ、ベックさんのメッセージに少し驚きました。素朴で静かな聖書の説き明かしでした。純粋に聖書に聴くことを大切にしている姿勢が伝わってきました。礼拝後、ベックさんとお話しました。自分は牧師の召命を感じて神学部を卒業したが、今は召命に確信が持てず迷っていると話しました。するとベックさんは…(続く) 

宇田慧吾牧師
(2024年2月18日)

「召命」1 宇田慧吾牧師


 礼拝で召命(しょうめい)に関する聖書の箇所を読んでいます。召命は「召して、命ずる」という言葉です。神さまが私を呼んで、使命を与える。教会では「牧師としての召命を受ける」等と使われます。実際には牧師だけでなく、職場や家庭や生活の中で一人ひとりの召命があります。ドイツ語では召命をベルーフと言い「職業・天職」という意味もあるそうです。もしよければ皆さんもご一緒に「私の召命はなんだろう」「いま神さまから私に託されている役割ってなんだろう」と考えていただければと思います。

 私は18歳の時に牧師としての召命を感じて神学部に入学しました。卒業の時には「自分は牧師にはなれない」と思い、東京で就職しました。半年ほどで仕事を辞め、インド・パキスタン・イラン・エジプトに旅に行った時、飛行機でたまたま隣に座った日本人が一軒のカレー屋さんを紹介してくれました。そのカレー屋さんの店主はチベット仏教の修行をしながらカレー屋さんをしているとのことでした。私は吉祥寺にあるそのカレー屋さんの店主テツさんと親しくなり、ある時こんな話を教えてもらいました。チベット仏教でとても人気のあるダライ・ラマがいる。それはダライ・ラマ6世で、夜な夜なカツラを被って飲みに行っていた。恋愛に関する詩を多く詠んだ。その中には例えば「あなたに会いに行けば仏が悲しむ。仏に会いに行けばあなたが悲しむ」といった詩がある。最後には還俗した(僧を辞め俗人に戻った)。そんな話を聞き、当時の私は「いつか自分も還俗しよう」と思いました。(続く)

宇田慧吾牧師
(2024年2月4日)

最近のことなど 宇田慧吾牧師

 家族で夕飯を食べる時、3歳の娘が「『いただきます』はつくってくれた人にありがとうっていうことだよね」と尋ねました。「それもあるし、あと食べ物を育ててくれた神さまにもありがとうだよ」と私。すると娘はやや真面目な顔で「パパ、神さまはお野菜育ててないよ」とのこと。庭で一緒にトマトを育てたこともあり、野菜を育てたのは「私」という自負があるようです。そんな話を農家さんたちにしたところ、野菜つくりにおいて神さまは「日照りとか豪雨とかいろんな試練もお与えになる」とのことでした。

 また別の日に娘と公園を歩いていると、道端にハトの亡骸がありました。「ハトさんどうしちゃったの?」と娘。このハトはもう死んでしまったこと、命あるものはいつか必ずそうなること、娘やパパやママも必ずいつかはそうなることを話しました。「いやだ、こわい」と言うので、「大丈夫。その時は神さまが迎えに来てくれて、イエス様が一緒にいてくれるよ」と話すと、神妙な面持ちで「そうなんだ」と吞み込んだ様子でした。用事を終えた帰り道、ハトがいなくなっていました。「いなくなった!神さまが迎えに来てくれたんだ!」と嬉しそうな娘。私は内心「カラス?猫?」。

 

2022年9月

《説教要旨》「クリスマスおめでとうございます」

宇田慧吾牧師


 クリスマスの出来事が「住民登録」の話で始まることをご存じでしょうか。キリストが生まれた頃、初代ローマ皇帝アウグストゥスにより住民登録の勅令が発せられました。アウグストゥスが皇帝となった後、ローマは千年に渡る歴史を築きました。

 そんな栄えた国の片隅で、人知れず赤ちゃんが生まれました。両親は例の住民登録のため100km以上に渡る旅の途中でした。生まれた赤ちゃんは飼い葉桶に寝かせられました。寝かせられたのがベッドでなかったのは「宿屋には彼らの泊まる場所がなかったから」と書かれています。

 この赤ちゃんのもとに最初に訪れたのは羊飼いでした。彼らはその頃、野宿をしながら夜通し羊の番をしていました。「野宿で夜通し」とはいかにも大変そうな仕事です。

 どんなに国が栄えても、その片隅に、その夜に、様々な人が生きています。それは今も昔も同じことかと思います。聖書が伝えるクリスマスは、その片隅に、その夜に、救い主が来てくれたという出来事でした。

 ちなみに私が救われたのもクリスマスの頃でした。当時高校3年生の私は友人や家族にも恵まれ、とても充実した境遇にありました。その一方で、心の中に言いようのない孤独感や虚無感がありました。ある時、その心の寂しさに神さまが寄り添ってくれていることを感じ、救いを実感しました。

 皆さんの心には「片隅や夜」がありますか?

 もしあるなら幸せです。キリストはそこに来て、いつも共にいてくれます。


2021年12月