11月4日説教要旨【園部会堂・宇田牧師】
「この一年もお世話になりました」ヨブ記38章1-18節
◇今日は一年に一度の逝去者記念礼拝です。先に天に召された家族のことをあらためて思い起こそうという気持ちで集まられた方が多いかと思います。牧師として申し上げたいことはただ一つで、私たちが思い出す以前に、天にいる家族は私たちのことをいつも見守ってくれていますし、想ってくれています。必要な時には助けてくれています。私たちが忘れてしまっている時にもです。
◇この前、教会に遊びに来た子どもたちが「川をつくろう」って言ってるんです。なんだろ~と思っていたら、教会裏の駐車場の砂利を掘って、その溝にホースで水を流して川つくってるんです。しかも夕方になったら、つくった少年少女はいなくなって、川は残ってるんです。これ、片付けるかなどうかな~(^^;と思って待っていたら、戻って来て手にうまい棒10本持ってるんです。「牧師さん、いつもお世話になってるんで、これ、教会に来る子どもたちに食べさせてあげてください」って…( ;∀;) 感謝されたくてお世話してるわけじゃないですけど、たまにはそんな風に言ってもらえるとやはり嬉しいですよね。
◇また、わたしの妻がいま妊娠7か月目なんですけど、まだ産まれてないこの時点でも、親にはお世話になったんだなと思います。まだ産まれてなくても親の苦労にやや気づくわけで、これから産まれてきたらもっと、また歳をとっていけばいくほど、いろんな人にお世話になったことにも気づいていくんでしょうね。天に召されていった家族にもお世話になったこと、まだ気づいてないことの方が多いと思います。これから人生の中で気づいていくんでしょうね。
◇今日聖書からの大切な言葉は「知識もないのに、言葉を重ねて、神の経綸を暗くするとは」。よく分かってもいないのに、自分は救われないとか、自分は不幸だとか、勝手に決めるなって神さまが言ってる言葉です。神さまの方ではみんなちゃんと幸せになれるように道を整えていて、その途中には人間から見ればいろんな出来事がありますけど、そういうことも含めてちゃんと神さまが整えてくれている道があるんだ、ということを今日の聖書は言っています。
◇家族にも、たくさんの人にも、神さまにも、この世界にも、いろんなものに私たち支えられています。天に召された家族を思い起こす今日、「この一年もお世話になりました」という感謝を心に持ちたいと思います。