「召命」2 宇田慧吾牧師

 前回「いつか自分も還俗しよう」と思ったことをお話しました。(還俗:僧を辞め俗人に戻ること) なんでそう思ったのか思い返すと、その理由の一つにはベックさんとの出会いがありました。


 ベックさんとは吉祥寺にあるキリストの集会という所で出会いました。この集会を教えてくれたのは、前回お話した飛行機でたまたま隣の席に座った日本人でした。インド人がひしめく飛行機の中で隣の席に座ったのが、たまたま日本人であっただけでなく、近所に住んでいる人であり、母親がクリスチャンの人でした。私はカバンを持たず、ポケットにパスポートと財布と歯ブラシだけを入れ、手に聖書を持って旅をしていました。飛行機の背もたれのラックに聖書が入れているのを見て、教会の話になり、彼女は自分の母親が通っている吉祥寺キリスト集会を紹介してくれました。話によると、そこにはドイツ人のベックさんという人がいて、その人はドイツで牧師の資格を返上して日本に渡り、キリストの集会を始められたとのことでした。


 帰国後、その集会を訪ねました。教会っぽくない建物の中に集会所があって、200名ほど人が集っていました。礼拝の式次第は教団と変わりなく、普通に礼拝が進んでいきました。ただ、ベックさんのメッセージに少し驚きました。素朴で静かな聖書の説き明かしでした。純粋に聖書に聴くことを大切にしている姿勢が伝わってきました。礼拝後、ベックさんとお話しました。自分は牧師の召命を感じて神学部を卒業したが、今は召命に確信が持てず迷っていると話しました。するとベックさんは…(続く) 

宇田慧吾牧師
(2024年2月18日)

「召命」1 宇田慧吾牧師


 礼拝で召命(しょうめい)に関する聖書の箇所を読んでいます。召命は「召して、命ずる」という言葉です。神さまが私を呼んで、使命を与える。教会では「牧師としての召命を受ける」等と使われます。実際には牧師だけでなく、職場や家庭や生活の中で一人ひとりの召命があります。ドイツ語では召命をベルーフと言い「職業・天職」という意味もあるそうです。もしよければ皆さんもご一緒に「私の召命はなんだろう」「いま神さまから私に託されている役割ってなんだろう」と考えていただければと思います。

 私は18歳の時に牧師としての召命を感じて神学部に入学しました。卒業の時には「自分は牧師にはなれない」と思い、東京で就職しました。半年ほどで仕事を辞め、インド・パキスタン・イラン・エジプトに旅に行った時、飛行機でたまたま隣に座った日本人が一軒のカレー屋さんを紹介してくれました。そのカレー屋さんの店主はチベット仏教の修行をしながらカレー屋さんをしているとのことでした。私は吉祥寺にあるそのカレー屋さんの店主テツさんと親しくなり、ある時こんな話を教えてもらいました。チベット仏教でとても人気のあるダライ・ラマがいる。それはダライ・ラマ6世で、夜な夜なカツラを被って飲みに行っていた。恋愛に関する詩を多く詠んだ。その中には例えば「あなたに会いに行けば仏が悲しむ。仏に会いに行けばあなたが悲しむ」といった詩がある。最後には還俗した(僧を辞め俗人に戻った)。そんな話を聞き、当時の私は「いつか自分も還俗しよう」と思いました。(続く)

宇田慧吾牧師
(2024年2月4日)