宇田慧吾牧師
この手紙を書いているパウロは、律法に従って生きるエリートでした。けれども、キリストに出会ってから、過去の自分を振り返ってみると、律法に「縛られていた」ことに気づきました。律法を貫徹しているという高慢な自尊心や他者に対する過度な裁きに縛られていたのでした。パウロはキリストとの出会いをきっかけに、その律法の縛りから解放されていきました。かつてのパウロは「正しく生きること」に一生懸命であった一方、自分の「正しくあれなさ」に向き合うことを見落としていたようです。パウロはキリストが十字架にかかった出来事と向き合う中で、神が自分の罪を赦し、その赦しのために十字架の痛みを引き受けてくれたことを知りました。その気づきをきっかけにパウロは律法に縛られる生き方から解放されていきました。
その後の変化についてパウロは「死に至る実」を結ぶ生き方から「神に対して実を結ぶ」ように変えられたことを語っています。自分を正しい者として、自尊心を膨らませ、他者を厳しく裁いていくと、最後は自分の正しくなさに対する裁き、自己否定につながっていきます。逆に、自分の罪を受け入れ、忍耐や寛容や赦しをもって関わってくれている神や周囲の人の存在に目を開かれると、感謝の気持ちが生じてきます。
特に想いをもって人と関わる時や自分と深く向き合う時には、相手を責める気持ちや「こんな自分ではいけない」という気持ちに縛られることがあります。その縛りからキリストは私たちを解放してくれます。
2020年8月30日 亀岡会堂