宇田慧吾牧師
祈れない日、だれにでもそんな時があります。心が虚しく、孤独やいら立ちにふさぐ日があります。神さまに愛されていることを実感できない日があります。
ぼくも昨日、そんな気持ちでした。半日以上、落ち着きなく、気落ちしたまますごしましたが、こんなときのためにこの祈りがあるんだなと思いました。
キリストは今日必要な糧を天の父に求めるようにわたしたちに教えました。
「パンをお与えください、と祈る者は、それと一緒に、神が、自分を養ってくださることを信じることができるようにしてください、と祈らねばならないのです」
竹森満佐一牧師の言葉です。その通りだと思います。この祈りは、天の父に求めることを通して、天の父への信頼を育てる祈りです。
天の父は今日必要な「糧」をいつもちゃんとくださっています。
「我らの」という言葉は召命に満ちた言葉です。この「我ら」は、天の父の愛するすべての人です。キリスト教徒でなくても、日本人でなくても、わたしの愛する人でなくても、すべての人が今日必要な「糧」を得られるようにわたしたちは祈っています。
そのように祈るわたしたちには、そのように生きることが期待されています。いま出会わされている身の回りにいる人が、わたしに割り当てられた「すべての人」です。「ひとりひとり」との関わりが、「すべての人」との関わりです。