≪主の祈りの学び≫1「はじめに」

宇田慧吾牧師

 亀岡の礼拝に行ったとき、4月から新しく来られている方が、主の祈りを暗唱していました。主日祈祷会でのことです。「もうおぼえたんですね」と声をかけると「使徒信条はまだですが」とのことでした。

 ついこの前までキリストを知らずにいた人が、教会に導かれ、礼拝に通い、聖書を読んで祈っている。そしてとうとう主の祈りをおぼえた。そんな風にキリストと出会い、絆を深めていくプロセスは、見ていてとても嬉しくなります。

 主の祈りを初めて「そら」で祈った日をおぼえていますか?教会学校で教わったという方はきっと習慣でおぼえたでしょう。一方、人生の途中で教会に出会ったという方には、初めて紙を見ず、目を閉じて主の祈りを祈ったときの感動があったかもしれません。

 自分がどちらの境遇にあったにせよ、今、あらためて初々しい気持ちで主の祈りを祈ることができたら、それはとても喜ばしいことです。

 礼拝中、讃美歌や聖書や祈りを通り過ぎて行くようなことがときどき(しばしば?)あります。わたしの場合「説教で何話そうかな・・・」なんてことで頭がいっぱいなときです。お恥ずかしいことに。

 こころをあわせて礼拝を大切にまもる。あまりにも当たり前で言うまでもないことかもしれません。でも、それが教会のいのちです。

 最近教会に来はじめた方だけでなく、わたしたちみんなが「キリストと出会い、絆を深めていくプロセス」の中にいます。そのためのひとつの工夫として、主の祈りの学びをご一緒にもてたらと思います。

 主の祈りは「福音全体の要約」とも言われます。そんなキリストが教えてくださった大切なお祈りを、学び、親しむ機会となればと願います。