「召命」7 宇田慧吾牧師

 教会に地域のこども達が遊びに来るようになると、不登校やひきこもりの相談を受けるようになりました。そして不登校の中高生やひきこもりの青年等と遊ぶことが私の日課となりました。一緒に料理やゲーム、麻雀、野外活動などをして過ごしました。今では彼らの多くは就職し、大学に進学し、それぞれの人生を歩んでいます。

 ある時ふと、神さまの導きは不思議だなと思いました。自分は保育園や児童館での仕事から離れたくて転任し、今の教会に来ました。けれども、結局こどもと関わる活動を毎日している。しかも、保育園や児童館で働いた経験が今の活動に生かされている。ひょっとしたら、これは自分で選んだことではなく、神さまが選んだことなのかなと思わされました。

 その後、こどもの居場所つくりの活動で様々なこども達と出会ったこと、自分も子育てをするようになったこと、近所にキリスト教のこども園が開園したこと、そんな経験を重ねる中で、児童福祉にもっと深く関わっていきたいという気持ちを与えられました。それで、保育士の資格を取り、保育園で働くようになりました。

 保育園では時々「どうして保育士になったの?」と尋ねられます。だいたいいつも「まあ、いろいろありまして」と答えます。教会で尋ねられたなら「はい、神さまの導きで」と答えるわけですが。

 神さまの導きはいつも意外です。でも、そんな不思議な導きに信頼し、備えられた道を歩いていくのは案外楽しいものです。(続く)

宇田慧吾牧師
(2024年5月25日)

「召命」6 宇田慧吾牧師

 園部会堂の近くには小学校、中学校、高校があり、教会の前をたくさんのこども達が登下校で通ります。小学生の下校の際にはヌーの群れの大移動のごとく、教会の前の通りがこども達でいっぱいになります。そんな地域のこども達が教会に訪れるきっかけとなった出来事が二つありました。


 一つは、こどもの頃に家庭の事情で寂しい思いをしていたという方のお話をうかがったことでした。その方もこどもの時は教会の前を登下校しており、なんとなく教会に行ってみたい気持ちを持っていたそうです。でもきっかけもなく、ようやく教会に来れたのは大人になってからだったそうです。そんなお話をうかがい「いま教会の前を歩いている子たちの中にも、ひょっとしたらそんな子がいるかもしれない」と思いました。そこで、教会の前に「誰でも遊んでいいよ」と書いたカフェボードを立てました。


 もう一つは教会に卓球台を置いたことでした。教会員の息子さんが卓球を始め、教会で練習できたらありがたいとの相談がありました。日曜以外は誰も使っていない部屋ですので、喜んで承諾しました。すると、中学校の卓球部の子たちが部活の後に来るようになりました。ある日、私はその子たちに唐揚げを作りました。すると翌日はバスケ部の子たちも来ました。私はまた唐揚げを作りました。さらに翌日には野球部の子たちも来ました。気づくと中学生男子20名程に唐揚げをふるまう事態となっていました。そして、その友達や弟、妹も遊びに来るようになり、あっという間に月のべ200名程が教会に遊びに来るようになりました。(続く)

宇田慧吾牧師
(2024年5月12日)

「召命」5 宇田慧吾牧師

 ひょんなことから保育園と児童館がある教会に赴任し、そこで働くこととなりました。当時の私は特にこどもが好きという訳でもありませんでした。けれどもすぐに、こども達のおもしろさや成長の喜びを感じるようになりました。特に、ちょっと手のかかる子について、かつての自分もそうだったためでしょうか、特別な親しみを感じました。3年務めて退職する時には、小学生の彼らがプレゼントをくれました。それは丁寧に作ってくれた雑草の押し花のしおりや自分が大きく写った写真やいかついドクロのキーホルダーでした。どれもちょっと不思議な贈り物でしたが、彼らと過ごした時間は今でも昨日のことのように思い出せます。

 3年で退職したのにはいくつか理由がありました。まず、正教師試験に合格し、伝道師(補教師)の期間を終えたこと。次に、もう少し教会の仕事をしたいと思ったこと。保育園・児童館での仕事は楽しく、学びも多いものでしたが、フルタイム勤務していたため、教会の仕事は日曜日だけでした。

 人事担当の牧師に「①付帯施設のない教会、②経済的課題を抱えている教会」に行きたいと伝えました。結果、紹介されたのが丹波新生教会でした。着任すると、おそろしく持て余す日々が始まりました。最初の半年間、平日はほとんど誰も教会に来ず、電話も鳴りませんでした。やることがなくて教会の隣のハローワークから出てきた青年に声をかけて、お茶をしたりしていました。まだその頃は、教会の駐車場が地域のこども達の自転車でいっぱいになる日が来ようとは思ってもみませんでした。(続く)

宇田慧吾牧師
(2024年4月21日)

「召命」4 宇田慧吾牧師

 半年ほど前から保育士として働き始めました。慣れない仕事ですが、周囲の先生方に支えられながら何とか楽しくやっています。思い返すと、こうして保育士として働くようになったのも、神さまの不思議な導きによります。


 事の始まりは、将来は自給伝道をしたいという気持ちを与えられたことにあるのかもしれません。まず、神学生としていくつかの教会に通う中で教会が経済的な課題で嘆いている様子を見てきました。牧師に家族がいる場合、教会の経済的課題は牧師の家族に影響していくことも知りました。その一方で、献金を一切受け取らないことでその働きの純粋さを示している宗教者がいることも知りました。たぶんそういった出会いの中で、自分は牧師としての奉仕は無償で行い、生活と家族を守るための収入源は別の職業で持ちたいという気持ちを持つようになったように思います。


 牧師の試験を受けた時はパン屋で働いていました。無事に試験に合格し、引き続きパン屋で働きながら教会を創ろうと友人と準備をしていました。ところが、当時お世話になっていた牧師からある教会に赴任してほしいという話を受けました。その教会に赴任する予定だった人が行けなくなったので代わりに行ってほしいとのことでした。学生時代どうしようもない青年だった私を支え続けてくれた牧師からの話であったので断ることはできず、3年だけ我慢して、それが終わったら今度こそパン屋で働きながら教会を創ろうと決めました。そして、赴任した教会には保育園と児童館があり、そこに勤務することとなったのが私の児童福祉との出会いでした。(続く)

宇田慧吾牧師
(2024年4月7日)