《説教要旨》「キリストに結ばれて生きる」 ローマの信徒への手紙6章1-14節

宇田慧吾牧師

 先日、地域の青年と話す中で、親子関係から受けた心の傷に縛られていたことをようやく自覚できたという話がありました。彼は聖書に出会い、一人一人が尊い存在であるという神の愛を知ることで、そのような自分の気持ちに気づくことができたそうです。またその翌日、別の地域の青年との話の中で、親しい人との死別によって心にできた穴や寂しさは、自然の摂理として受け入れるだけでは癒されないと思うという話がありました。彼は聖書が語る永遠の命や復活を信じることで神が真実に癒してくれると話していました。

 確かに「心の傷」や「死別の空虚」は自覚や人間の力だけでは治癒できない場合もあるように思います。私も自分の心の中を見つめると、心を縛っている恐れや罪があることに気づきますが、自分の力だけではなかなか克服できないことがあります。

 そのような「心を縛る力」から自由になるにはどうしたらよいのでしょうか。パウロは「キリストと結ばれる」ことを勧めています。特にキリストの十字架と復活を共にすることを勧めています。パウロにとってそれは、罪に縛られた「古い自分」が死に「新しい命」に生き始めることでした。おそらくパウロにはキリストに出会って変えられた、新しくされた実感があったのでしょう。

 キリストに結ばれて一緒に生きようとパウロは私たちを誘っています。キリストと一緒に生きていきたいと私は思います。私の心を縛っている罪から自由にしてください、新しい命に生きさせてくださいと心から願います。

2020年3月24日 須知会堂