10/19(土)服部龍生ソロライブ@園部会堂、盛況でした!

10/19(土)園部会堂にて「服部龍生6弦ベースソロライブ ブルームーンナイト」が開催されました。
6弦フレットレスベースのソロ演奏者である服部龍生さん。彼の音楽と、園部会堂の青いステンドグラスが合う!ということで、南丹市あしながおじさんの会の皆さんがコンサートを企画してくださいました。

教会のステンドグラスは「祈り」という作品名です。太陽の光によって青の色味が異なり、日中は水色、夕日は紫、夜は深いミッドナイトブルーが楽しめます。会場のセッティングはタンバミュージアムワークスの明田さんにお世話になりました。

龍生さんの演奏も素晴らしく、ベース一本とは思えない豊かな音色が礼拝堂に響きました(低音が体に響いてとても心地よく、乳児もスヤスヤ寝てしまう程でした)。地域の方にたくさんお集まりいただき、龍生さんの重厚な音楽と、礼拝堂の響き、ステンドグラスの美しさを鑑賞する贅沢なひと時となりました。ご協力いただいた皆さん、ありがとうございました♪

《説教要旨》「何も持たずに世に生まれ」テモテへの手紙 一 6章1節~12節

片岡広明牧師

わたしたちは、何も持たずに世に生まれ、世を去るときは何も持って行くことができないからです。テモテ 一 6章7節

 今日は世界聖餐日、世界宣教の日を迎えています。私たちの教会ではこの日に先んじて先週の日曜日、園部合同礼拝において聖餐にあずかりました。わたしたちは世界中の諸教会の人々とキリストによって結ばれているのだということを覚えたいと思います。世界の宣教のために祈りましょう。テモテへの手紙は長年にわたって経験を積み重ねてきた伝道者パウロから、若くて経験の浅い伝道者テモテへの励ましや勧告の言葉をつたえる手紙として書かれたという形をとっています。ここに述べられているのは、教会の宣教の業を担っていくにあたって、心得ておくべき大切な事柄としていくつかの具体的な課題を挙げて勧めを語っています。今日の箇所には奴隷と主人という社会的立場の秩序を守るようにということと、富に関する教えとが語られています。その前のところでは、老人に対して、若者に対して、身寄りのないやもめに対して、教会の長老に対してなど、具体的な勧めを語っています。いろいろな人たちを、それぞれの人々のことをよく理解しながらイエスの御言葉によって信仰へと導くのが教会の使命であり、伝道者が神様から託されているつとめなのです。信仰こそがすべての人にとって何よりも大切な宝なのです。

 先週、合同礼拝でひとりの方の洗礼が行われました。その信仰に至る歩みを神様が導いて下さったことを皆で共に喜び分かち合いました。その際の説教で語られたことの中に、丹波ヨブの話がありました。ハンセン病を患い、病による苦難と貧しさの中で信仰を持ち続け、生きる望みを持ち続けた信仰の証しを伝え聞く幸いをいただいていることは、わたしたちの教会の誇りです。どんなにたくさんのお金を蓄えても、お金は使えばなくなります。いつまでも残るもの、信仰と希望を愛を、わたしたちも求めていきたいのです。

2019年10月6日 亀岡会堂

《説教要旨》「父は待っている」ルカによる福音書15章11-32節

宇田慧吾牧師

 今日は洗礼式があります。洗礼を受けるFさんに「洗礼の記念品は何がいいですか」と尋ねると、「友吉さんがなぜ洗礼を受けたのか知りたいので、その資料が欲しいです」と仰られました。友吉さんはFさんの曽祖父です。曽祖父の友吉さんが洗礼を受けられたことから、F家と教会の関わりが始まりました。

 結論から言うと、友吉さんがなぜ洗礼を受けたのかについてのはっきりとした資料は見つかりませんでした。ただ、友吉さんが1890年に洗礼を受けておられ、この年は丹波教会が創立された6年目であり、その時の牧師であった留岡幸助から洗礼を受けたということは資料から分かりました。これらのことから、当時の教会の様子や留岡幸助牧師の働きが、友吉さんの受洗理由にある程度関係しているのではないかと想像します。

 当時の教会の様子は今と比べれば特別なものでした。京都市内から同志社の学生や宣教師が歩いて伝道に来ていました。彼らの感化から洗礼を受けた村上太五平という人物は熱心な伝道活動をして「丹波教会の父」と称されました。彼は回心前は「酒豪と放蕩で知られていただけに彼の変化はそれ自体が説得力を持ち、キリスト者になる者が多かった」と記録されています。またこの時代、胡麻には丹波ヨブと呼ばれた野林格蔵がいました。彼はハンセン病患者として差別を受けましたが、信仰者である母から受け取った「格蔵、信仰だけは落とすなよ」の言葉を胸に最期まで信仰を貫かれました。また当時はキリスト者への迫害が激しく、胡麻会堂は発足直後に何者かの放火によって全焼しました。翌日、教会員一同で焼け跡を片付けている時、その中の一人が「犯人を告訴すべきだ」と発言したところ、他の会員たちは「それは違う。聖書に『敵を愛し、憎む者のために親切にせよ、呪う者を祝福し、辱める者のために祈れ』とある」と諭し、一同その場に座して祈りを捧げ、一層、強い信仰の絆に結ばれた、との記録があります。一か月後、会堂は再築され、献堂式が行われました。これらは友吉さんが洗礼を受けた当時の教会の様子の一端です。

 友吉さんに洗礼を授けた留岡幸助牧師は、日本の社会福祉の先駆者として著名な人物です。監獄で受刑者と関わる教誨師としての活動や、非行少年や保護者のいない少年と共同生活をして更生をはかる家庭学校を日本でいち早く始めました。丹波教会での在任期間は二年半と決して長い期間ではありませんでしたが、友吉さんの息子にあたるHさんは「丹波教会の歴史の中で牧師と信徒、信徒同士の深い交流があったのは留岡牧師の時代」と証言していたそうです。留岡幸助の牧師としての働きについては次のような記録があります。「講壇に立って、偉そうぶって説教をたれるような牧師ではなかった。民衆の心をつかむため、つねに彼らの中に分け入って行こうと心がける牧師であった」。「構えた姿勢でキリストの教えを説くのではなく、丹波の民衆の生活に密着した、幅広い日常的な実践を大切にしていた」。「彼の伝道にはいつも生活と汗のにおいがこもっていた」。留岡幸助が感化を与えた教会員の一例として、田中藤左衛門は、後に園部幼稚園や淇陽学校を創設し、初代園長、初代校長を務めました。

 留岡幸助自身は「人間の美しさ」について基督教新聞に次のような文章を書いています。「およそ人の本当の美しさというものは孤立した関係からは生まれない。夫婦という関係があって、夫婦の愛の美しさが生れる。親子の関係も、また友人にしても同じである。・・・およそ人のうちにあってもっとも美しいのは愛である。その愛の中でも聖霊を心に受けて、神の霊に触発された愛の人ほど美しいものはない。本当の人間の美しさとは、複雑な人間関係の中で育てられる愛であり、その愛が神の愛に覆われた時である」。
 この文章からは留岡自身が「人との関係」を大切にしており、その中でも特に「人間関係における複雑さの中で愛が育てられること」を大切にしていたことが受け取れます。

 友吉さんがなぜ洗礼を受けたのかについて、確実な理由は分かりません。ただ、今ご紹介した教会の様子の中で、また留岡幸助牧師との関わりの中で洗礼を受けたということは歴史上の事実です。そもそも、『なぜ』について私たちはいつも全部を知ることはできません。すべてをご存知なのは神さまだけです。友吉さんが洗礼を受けたのは、今日こうしてFさんが洗礼に導かれるためだったのかもしれませんよ。

 今日の聖書箇所は「放蕩息子のたとえ」でした。放蕩息子が父のもとを離れて、自由を謳歌していた時、息子は父のことを忘れていました。けれども、父は息子のことを忘れていませんでした。戻って来た息子を見つけると、走り寄って抱きしめました。父は息子を待っていました。
 Fさんは子どもの頃、園部の教会学校に通い、その後は教会を離れ、今こうして教会に戻ってこられました。その数十年の間、Fさんが放蕩の限りを尽くしていたとは思いませんし、父のことを忘れていたかどうかは分かりませんが、父はいつも待っていました。今日この日を、天の父も、友吉さんも喜んでおられることでしょう。

 この後、洗礼を授け、聖餐をします。洗礼に立ち合う私たちも、信仰を新たにしましょう。自分が信仰に導かれた時のことを思い起こしましょう。また、聖餐にあずかり、キリストが私たちのために十字架にかかって、その身を裂き、血を流されたこと、その深い愛を思い起こしましょう。

2019年9月29日 園部会堂