4月26日礼拝メッセージ@園部会堂 「信仰を養う生活習慣」

宇田慧吾牧師

 親愛なる皆さま、おはようございます。各家庭での礼拝となって2週目を迎えますが、いかがおすごしでしょうか。ライブ配信での礼拝を自宅にて守っている方、ご夫婦で礼拝を守ることができたという方、いくつかの嬉しい知らせを聞いています。教会内では、老人ホームに入居されている方に心配りをしてくださった方もおられたようです。

 私自身はいくつかの用事がキャンセルになった程度でいつも通りの生活をしています。4月からは妻が仕事復帰したので、週3日は娘の子守りをしながら事務作業や応接をしています。娘が生まれる前に今後の家庭の方針を妻と相談していくつか決め事をしたことがありました。その中の一つに食前のお祈りがありました。「この食事を感謝していただきます。アーメン」という簡単なお祈りを娘がお腹の中で耳が聞こえるようになった頃から始めました。1歳3か月を迎える最近は、自分から手を合わせて、「メン!」と言えるようになりました。

 私自身、物心ついた頃には家族でそのような食前のお祈りをしていました。18歳で人生に深く悩んだ時、教会を思い出し、自然にお祈りすることができたのは、長い間続けられた食前のお祈りのおかげだったように思います。

 先日、宗教学者の小原克博さんが「信仰は常時に養い、非常時にものをいう」と話しておられました。非常時や困った時だけでなく、日頃から信仰を養う生活習慣を身に着けておきたいものです。

 今日の聖書箇所からも信仰を養う生活習慣についてヒントを得ておきたいと思います。初めに、ポイントとなる言葉を挙げます。

「今や、キリスト・イエスに結ばれている者は、罪に定められることがありません」8:1
「霊に従って歩む」8:4
「神の霊によって導かれる」8:14
「神の子とする霊を受けた」8:15
「この霊によってわたしたちは『アッバ、父よ』と呼ぶ」8:16

 パウロはキリストに結ばれることで罪の赦しを受け取ることができました。通常、自分の罪を責め立てる相手には心を閉ざすものかと思います。パウロは十字架にかかり死んで復活したキリストに出会うことで、神さまは自分の罪を責めないということを知りました。逆に、自分の罪の責任を肩代わりして、痛みを引き受けてくれたということを知りました。自分のために傷ついてくれたキリストにパウロは心を開くようになりました。

 キリストに心を開いたパウロは、聖霊に従って生きるようになりました。具体的に言えば、祈りの中で神さまの思いを確かめ、自分の思いではなく神さまの思いに従って生きるようになりました。また、自分の思いに基づく選択より、神の導きに信頼するようになりました。

 導きに信頼するようになったパウロは、神を「アッバ、父よ」と呼ぶようになりました。「アッバ」は「パパ、おとうちゃん」という意味でキリストが好んだ呼び方です。パウロにとって神さまが、忠実に従うべき主人というだけでなく、幼子が素直な信頼をもって頼る親のような存在になったことがうかがえます。

 三つのポイントがありました。
・神さまに心を開く
・聖霊に従う
・幼子のように神さまに頼る
 この三つ、心にあるでしょうか。

2020年4月26日の週報

コロナウイルス感染拡大を防止するため、教会に集うことができません。礼拝の式次第を掲載いたしますので、各ご家庭で共に賛美し祈りましょう!●

○復活節第3主日礼拝 労働聖日
●亀岡礼拝(亀岡会堂) 午前10時30分
司会:片岡広明牧師 奏楽:HymnPlayer

前  奏           
招  き      詩編 89:16
頌  栄  24(たたえよ、主の民)
主の祈り  (讃美歌93-5A)
使徒信条  (讃美歌93-4A)
聖  書  ヨハネによる福音書
      21章1-14節 (新P.211)              
祈  祷         
讃  美  324(主イエスはすすみて)
説  教   「みんな知っていた」   
祈  祷        片岡広明牧師
讃  美  79(みまえにわれらつどい)
献  金  
頌  栄  27(父・子・聖霊の)
祝  福        片岡広明牧師
報  告
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●船南礼拝(園部会堂)  午前10時30分
司会:宇田慧吾牧師 奏楽:今井恵一兄
前  奏          奏 楽 者
招  き    マタイ28:5-7   司 会 者
頌  栄  24(たたえよ、主の民)
主の祈り  (讃美歌93-5A)
使徒信条  (讃美歌93-4A)
聖  書  ローマの信徒への手紙
       8章1-17節 (新P. 283)                
祈  祷           司 会 者
讃  美  46(すべての人よ) 2回繰り返し
説  教  「アッバ、父よ」
祈  祷         宇田慧吾牧師
讃  美  466 (山路こえて)
献  金  感謝祈祷     当  番
頌  栄  27(父・子・聖霊の)
祝  福         宇田慧吾牧師
後  奏           奏 楽 者
報  告

〇次週予告
【5月3日 復活節第4主日礼拝予告】

◇亀岡礼拝は会堂での礼拝は牧師と牧師家族のみで行い、他の方々には非公開とします。船南礼拝は牧師と出席可能な役員のみで行います。

○お知らせ
◇新型コロナウイルス感染拡大防止のため、亀岡礼拝は非公開で牧師家族のみで行います。船南は牧師と出席可能な役員のみで行います。礼拝順序を一部省いて時間を短縮して行います。この方法による礼拝は5月3日(日)まで継続します。この期間中は胡麻夕礼拝と須知礼拝は休止とします。5月10日(日)からは通常に戻す予定ですが、状況を見て判断します。木曜日の亀岡の祈祷会も4月中はお休みです。

◇教会に集うことができなくても、わたしたち丹波新生教会は信仰によって結ばれています。日曜日の礼拝の時間に合わせて、それぞれの場所でその日の聖書箇所を読み、神様を賛美し、心を一つにして祈りましょう。神様がすべての人の命を守って下さるように、そして再び相集い、共に礼拝を守れる日が来ますように祈りましょう。

4月19日礼拝メッセージ@園部会堂「人格の成熟、社会の成熟」

宇田慧吾牧師

 今週から3週間は牧師と限られた方だけで礼拝を守ることとなりました。新型コロナウィルスの感染拡大によって、各国の社会がチャレンジを受けているのと同じように、私たち各個人の精神もチャレンジを受けています。恐れに支配されず、このような時こそ他者への思いやりや互いに支え合う心、日常への感謝を新たにしましょう。

 重要な教訓はいつも非常時に心に刻まれるものです。私は前任地が福島県の教会でした。3.11の震災から3年後の着任でしたが、保育園では外遊びが制限されていて、園庭以外での野外活動は線量計で安全が確認された場所に限られていました。あぜ道などは除染作業の順番が遅かったため、その辺の雑草は触ってはいけないという意識を小学生なら当然に持っていました。京都に赴任してすぐ、幼稚園の子どもたちが野外で木の実を食べているのを見て驚愕したことを思い出します。震災後の福島で育った子どもたちは、自然の中で自由に思いきり遊ぶという経験が制限されました。それはとても残念なことでした。一方で、子どもたちのために保育園の先生たちは遊びの工夫に心を砕いていましたし、安全な遊び場の確保に努めていました。福島県外の方たちからは砂場の砂を送っていただいたり、保養キャンプの受け入れでお世話になったりもしました。きっと福島の子どもたちは、自然に触れられることのありがたさや困った時に助け合うことの大切さを身をもって知った人に育ち、これからの社会をつくってくれると信じています。

 非常時が重要な教訓を人の心に刻む一方で、非常時は人の心の弱さもあらわにします。ヨーロッパでペストが猛威をふるった時には、ユダヤ人が井戸に毒を入れたという噂が広がり、罪のない人たちが犠牲となったそうです。関東大震災の時にも同じように根も葉もない噂が広がり特定の人たちが犠牲になりました。こういった社会の一部の人たちに非常時の恐れが押しつけられることを歴史は経験してきました。非常時にはもともと人の心の中にある差別意識が噴き出すことがあります。今の日本の状況ではどうでしょうか。休業補償について特定の職業が対象外とされそうになりました。また、もし自分が感染したら、感染による症状よりも周囲の目が恐いという声も聞きます。

 非常時は、重要な教訓を心に刻むチャンスであり、同時に、人の心の弱さがあらわになるピンチでもあります。私たちは前者の道を行きましょう。また、自分の心に潜んでいる弱さを見つめ自覚する機会としましょう。

 今日の聖書箇所には次の言葉がありました。

「わたしは自分の望む善は行わず、望まない悪を行っている」(ローマ7:19)。

 心の中にある善と悪のジレンマが語られています。私自身がこのジレンマに向き合い始めたのは15歳頃かと思います。自分の望まない悪に影響されることに激しく苦悶しました。善を望んで生きようとしても、悪を行ってしまうことに激しい自己嫌悪を抱きました。また、自分の中の問題を外に投げつけて、たくさんの人たちを批判し傷つけました。

 一方で、それでも善を望み、ジレンマを抱え続けることで、だんだんと自分の弱さを自覚し、弱さを操舵できるようにもなっていきました。自分の弱さと向き合う作業は苦しいものでもありましたが、いつも信仰が支えとなりました。

 ジレンマの苦しみを語るパウロも「私はなんと惨めな人間なのでしょう」と深く嘆いています。ただ興味深いことに、そう嘆いたすぐ後で「わたしたちの主イエス・キリストを通して神に感謝いたします」と感謝の言葉を告白しています。パウロもまた善悪のジレンマを嘆く経験を重ねる中で、神の忍耐・寛容・慈しみ・赦しを受け取ってきたのでしょう。

 善悪のジレンマは人格を成熟させます。自分の弱さを自覚する前の子どもには天真爛漫という美しさがありますが、同時にひどく残酷な一面もあります。一方で、自分の心の中にある悪・弱さ・罪といった問題に向き合い、嘆き傷つきながらも、善く生きることを望んで生き続けてきた人には成熟した美しさがあります。成熟した人は他者の心に寄り添う思いやりや慈しみ、感謝の心が豊かです。

 今、私たちは個人の人格においても、社会そのものにおいても成熟の好機に立っています。恐れに縛られず、弱さに流されず、最善を選び、成熟に向かいましょう。他者を思いやる心、互いに支え合う心、日常への感謝を新たにしましょう。

2020年4月19日の週報

コロナウイルス感染拡大を防止するため、教会に集うことができません。礼拝の式次第を掲載いたしますので、各ご家庭で共に賛美し祈りましょう!●

〇礼拝式次第 復活節第2主日
●亀岡礼拝(亀岡会堂) 午前10時30分
司会:片岡広明牧師 奏楽:HymnPlayer
前  奏
招  き  テサロニケ 第一 3:8
頌  栄  24(たたえよ、主の民)
主の祈り  (讃美歌93-5A)
使徒信条  (讃美歌93-4A)
聖  書  ヨハネによる福音書 20章19-31節 (新P.210)
祈  祷
讃  美  328(ハレルヤ、ハレルヤ)
説  教   「あなたがたに平和があるように」    
祈  祷  片岡広明牧師
讃  美  326(地よ、声たかく)
献  金  
頌  栄  27(父・子・聖霊の)
祝  福  片岡広明牧師
後  奏
報  告
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●船南礼拝(園部会堂)  午前10時30分
司会:宇田慧吾牧師 奏楽:今井恵一兄
前  奏  奏 楽 者
招  き  マタイ 28:5-7  司 会 者
頌  栄  24(たたえよ、主の民)
主の祈り  (讃美歌93-5A)
使徒信条  (讃美歌93-4A)
聖  書  ローマの信徒への手紙 7章7-25節 (新P. 282)               
祈  祷  司 会 者
讃  美  46(すべての人よ) 2回繰り返し
説  教  「人格の成熟・社会の成熟」
祈  祷  宇田慧吾牧師
讃  美  520 (真実に清く生きたい)
献  金  感謝祈祷   当  番
頌  栄  27(父・子・聖霊の)
祝  福  宇田慧吾牧師
後  奏  奏 楽 者
報  告
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〇次週予告


◇亀岡礼拝は会堂での礼拝は牧師と牧師家族のみで行い、他の方々には非公開とします。船南礼拝は牧師と出席可能な役員のみで行います。

〇お知らせ
◇新型コロナウイルス感染拡大防止のため、亀岡礼拝は非公開で牧師家族のみで行っています。船南は牧師と出席可能な役員のみで行います。礼拝順序を一部省いて時間を短縮して行います。この方法による礼拝は5月3日(日)まで継続します。この期間中は胡麻夕礼拝と須知礼拝は休止とします。5月10日(日)からは通常に戻す予定ですが、状況を見て判断します。木曜日の亀岡の祈祷会も4月中はお休みです。

◇3月の教会総会で承認された2020年度の主な行事予定(案)のうち、5月24日の創立(合同)記念礼拝は9月27日に園部での開催とします。6月7日教会総会当日の礼拝は各地区での礼拝の予定でしたが、亀岡合同礼拝に変更します。

新型コロナウイルス感染拡大への対策について(5/6更新)

新型コロナウィルス感染症への対策として、下記の通り対応します。

◆亀岡会堂
4月12日~5月31日まで礼拝を非公開とします。
この間の祈祷会もお休みとします。通常礼拝再開は6月7日です。

◆船南地区
園部会堂:5月10日から通常の礼拝を再開します。
胡麻は5月17日再開。
須知は5月26日再開。

詳細が決まり次第、随時情報を更新していきます。

《説教要旨》「キリストに結ばれて生きる」 ローマの信徒への手紙6章1-14節

宇田慧吾牧師

 先日、地域の青年と話す中で、親子関係から受けた心の傷に縛られていたことをようやく自覚できたという話がありました。彼は聖書に出会い、一人一人が尊い存在であるという神の愛を知ることで、そのような自分の気持ちに気づくことができたそうです。またその翌日、別の地域の青年との話の中で、親しい人との死別によって心にできた穴や寂しさは、自然の摂理として受け入れるだけでは癒されないと思うという話がありました。彼は聖書が語る永遠の命や復活を信じることで神が真実に癒してくれると話していました。

 確かに「心の傷」や「死別の空虚」は自覚や人間の力だけでは治癒できない場合もあるように思います。私も自分の心の中を見つめると、心を縛っている恐れや罪があることに気づきますが、自分の力だけではなかなか克服できないことがあります。

 そのような「心を縛る力」から自由になるにはどうしたらよいのでしょうか。パウロは「キリストと結ばれる」ことを勧めています。特にキリストの十字架と復活を共にすることを勧めています。パウロにとってそれは、罪に縛られた「古い自分」が死に「新しい命」に生き始めることでした。おそらくパウロにはキリストに出会って変えられた、新しくされた実感があったのでしょう。

 キリストに結ばれて一緒に生きようとパウロは私たちを誘っています。キリストと一緒に生きていきたいと私は思います。私の心を縛っている罪から自由にしてください、新しい命に生きさせてくださいと心から願います。

2020年3月24日 須知会堂

《説教要旨》「信頼はだんだんと深まる」ローマの信徒への手紙4章1-12節

宇田慧吾牧師

 先日、予期せぬ困難な出来事に立ち合うことがありました。その時、神さまの御手の内にあることを信じつつも、心の中には不安や疑いもありました。そういった気持ちが今回の聖書箇所を読む中で変えられていく経験をしました。

 今回の聖書箇所では、パウロが「信じることによって救われる」ということをアブラハムとダビデを例に挙げて語っています。

アブラハムは「信仰の父」と呼ばれ、神に従順に従った姿が多く描かれています。そんなアブラハムでも恐れからか神に委ねきれず、自分の策を巡らして、愚かしい行動をしたこともありました(創12:10-20)。結局その時にも、神に助けられることで、神への信頼を深めたようです。その後の場面では、平気で損な選択を受け入れたり、危険な出来事にも勇敢に立ち向かったりしています。

 また、ダビデも敬虔な人物であり一国の王でもありましたが、ひどく恥ずかしい失敗も経験しました(サム下11:1-27)。それでもダビデが誠実であったのは、自分の非を素直に認め、神に罪を打ち明け、赦しを求めたことでした。ダビデによる詩編32編には「いかに幸いなことでしょう。背きを赦され、罪を覆っていただいた者は」とあります。

 アブラハムやダビデは、神に助けられる経験や赦される経験を重ねることで、神への信頼を養ったようです。パウロもまた時間をかけてキリストに出会いました。私も支えられる経験や赦される経験を重ねることで、神への信頼を深めていきたいと思わされました。

2020年2月23日 園部会堂

2/22(土)南丹まちゼミ「教会葬セミナー」@園部会堂のお知らせ

第2回 『南丹 まちゼミナール』 に丹波新生教会も参加します!

◆教会葬セミナー◆
日 時:2月22日(土)14:00~15:00
会 場:丹波新生教会 園部会堂
申込先:0771-63-0165
教会員でない方もキリスト教式の葬儀ができます。具体的な葬儀の準備、流れ、費用などについてご案内します。

クリスチャンでなくてOK!既に問い合わせを多数いただいています。お早めにどうぞ♪