アドベントコンサート、盛況でした!

12月1日(日)園部会堂にてアドベントコンサートが行われました。
「地域の教会で、地域の方たちの歌と演奏を、地域のピアノ工場のピアノを借りて」というコンセプトのもと、皆でアドベントを楽しむひと時となりました。

ソプラノは澤田広子さん、メゾソプラノは井尻有香さん、ピアノ演奏は黒田知子さん。ピアノは宇治電器工業株式会社美山工場さんより提供いただきました。ドイツのアドベントやクリスマスの曲を中心に構成されたコンサートは、美しい歌声とピアノの演奏を聴いたり、一緒に讃美歌を歌ったり、あっという間の2時間でした。途中ドイツの牧師・神学生の皆さんがキャンドルやおなべの蓋を使ったパフォーマンスを披露。最後はアンパンマンマーチやパプリカなど、最近の曲も歌ってくださいました。大人から子どもまで、とても盛り上がりました!

ステンドグラスの光が会場を彩ります
ドイツの皆さんも参加してくれました

大人約70人、子ども約15人の参加でした。ご来場いただいた皆さん、音楽家の皆さん、ピアノの提供や会場の準備などご協力いただいた皆さん、ありがとうございました!

12/1(日)アドベントコンサートのお知らせ

12/1(日)園部会堂にてアドベントコンサートが行われます!

時 間:12月1日(日)13:00~
場 所:丹波新生教会園部会堂
参加費:無料
連絡先:0771-63-0165(園部会堂)

地域の職人さんが作ったピアノと、地域の音楽家の皆さんによるコンサートです。南丹市に滞在中のドイツ人神学生の皆さんも参加し、ドイツのクリスマス・アドベントの歌を披露していただきます。有名なあの曲を一緒に歌う場面も♪アドベントの始まりを皆で楽しみませんか?

昨年も多くの地域の方にご参加いただき、クリスマスの歌を楽しみました。美しい演奏を堪能したり、子どもの好きな冬の歌を一緒に歌ったり、盛況でした。昨年のコンサートのレポートはこちらの記事で、動画はこちらの記事からご覧いただけます。

予約不要、入場無料です。初めて教会に来られる方も、お気軽にお越しください!

10/19(土)服部龍生ソロライブ@園部会堂、盛況でした!

10/19(土)園部会堂にて「服部龍生6弦ベースソロライブ ブルームーンナイト」が開催されました。
6弦フレットレスベースのソロ演奏者である服部龍生さん。彼の音楽と、園部会堂の青いステンドグラスが合う!ということで、南丹市あしながおじさんの会の皆さんがコンサートを企画してくださいました。

教会のステンドグラスは「祈り」という作品名です。太陽の光によって青の色味が異なり、日中は水色、夕日は紫、夜は深いミッドナイトブルーが楽しめます。会場のセッティングはタンバミュージアムワークスの明田さんにお世話になりました。

龍生さんの演奏も素晴らしく、ベース一本とは思えない豊かな音色が礼拝堂に響きました(低音が体に響いてとても心地よく、乳児もスヤスヤ寝てしまう程でした)。地域の方にたくさんお集まりいただき、龍生さんの重厚な音楽と、礼拝堂の響き、ステンドグラスの美しさを鑑賞する贅沢なひと時となりました。ご協力いただいた皆さん、ありがとうございました♪

《説教要旨》「何も持たずに世に生まれ」テモテへの手紙 一 6章1節~12節

片岡広明牧師

わたしたちは、何も持たずに世に生まれ、世を去るときは何も持って行くことができないからです。テモテ 一 6章7節

 今日は世界聖餐日、世界宣教の日を迎えています。私たちの教会ではこの日に先んじて先週の日曜日、園部合同礼拝において聖餐にあずかりました。わたしたちは世界中の諸教会の人々とキリストによって結ばれているのだということを覚えたいと思います。世界の宣教のために祈りましょう。テモテへの手紙は長年にわたって経験を積み重ねてきた伝道者パウロから、若くて経験の浅い伝道者テモテへの励ましや勧告の言葉をつたえる手紙として書かれたという形をとっています。ここに述べられているのは、教会の宣教の業を担っていくにあたって、心得ておくべき大切な事柄としていくつかの具体的な課題を挙げて勧めを語っています。今日の箇所には奴隷と主人という社会的立場の秩序を守るようにということと、富に関する教えとが語られています。その前のところでは、老人に対して、若者に対して、身寄りのないやもめに対して、教会の長老に対してなど、具体的な勧めを語っています。いろいろな人たちを、それぞれの人々のことをよく理解しながらイエスの御言葉によって信仰へと導くのが教会の使命であり、伝道者が神様から託されているつとめなのです。信仰こそがすべての人にとって何よりも大切な宝なのです。

 先週、合同礼拝でひとりの方の洗礼が行われました。その信仰に至る歩みを神様が導いて下さったことを皆で共に喜び分かち合いました。その際の説教で語られたことの中に、丹波ヨブの話がありました。ハンセン病を患い、病による苦難と貧しさの中で信仰を持ち続け、生きる望みを持ち続けた信仰の証しを伝え聞く幸いをいただいていることは、わたしたちの教会の誇りです。どんなにたくさんのお金を蓄えても、お金は使えばなくなります。いつまでも残るもの、信仰と希望を愛を、わたしたちも求めていきたいのです。

2019年10月6日 亀岡会堂

《亀岡会堂 夏のこどもの集い報告》

8月25日(日)、朝9時30分から主日礼拝までの時間、亀岡会堂で夏のこどもの集いを開催しました。子どもたちとともに神様に賛美を献げ、そしてそのあとは石けんデコパージュをしました。石けんに絵を貼り付け、防水加工を施します。美しい石けんができました。楽しいひと時を子どもたちと共に過ごしました。子どもたちの心に楽しい教会の夏の思い出となりますように祈ります。

《説教要旨》「復讐せず」ローマの信徒への手紙12章9-21節

片岡広明牧師

 愛する人たち、自分で復讐せず、神の怒りに任せなさい。「『復讐はわたしのすること、わたしが報復する』と主は言われる」と書いてあります。(ローマ 12章19節)

 パウロは今日の箇所でキリストの福音を実践していくにはどうすべきかということについて、「愛には偽りがあってはなりません。」と、真実な愛の実践を勧めています。どんなに愛の人を装っていても、人はごまかせても、神様に対して偽ることはできないのです。「喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい」の御言葉もよく知られています。うわべだけでなく心から喜びも悲しみも人と分かち合える者でありたいと思います。

 19節には「自分で復讐せず、神の怒りにまかせなさい。」とあります。きっとローマにあるキリスト者たちが置かれていたのは、とてもつらい立場であったのだろうと思います。十字架で殺されたイエスが神の子キリストであるということは当時のローマの多くの人々からすればたわごとのようにしか思われなかったことでしょう。そのために彼らは苦しめられ、迫害されていたでしょう。自分たちを苦しめる者に対して怒りや復讐心を抱くことも無理からぬことかもしれません。それはローマにあるキリスト者だけの問題ではなく、キリスト信仰など愚かなことであると考える不信仰な世にあって苦労するキリスト者がいつでも直面することなのです。しかしイエスが十字架の犠牲を払って示された愛は限りなく深く広いものでした。この世にあってどんなに苦しめられ、虐げられ、迫害されるようなことがあっても、決して人に対して恨みを抱いたり、復讐心を燃やすことなどがあってはならないのです。8月は平和のために祈る月です。個人と個人との間に平和を造り出すことは、国と国、世界の平和へと広がっていくものだと思います。戦争によって復讐や報復が繰り返されてきた世界の人々が神様の御心に立ち返り、平和な世界の実現へと向かっていきますようにと祈ります。

2019年8月18日 亀岡会堂

《説教要旨》「同じ思いを」フィリピの信徒への手紙4章1-7節

片岡広明牧師

 わたしはエボディアに勧め、またシンティケに勧めます。主において同じ思いを抱きなさい。なお、真実の協力者よ、あなたにもお願いします。この二人の婦人を支えてあげてください。(フィリピ4章2節-3節)

 今日の平和聖日にあたって、フィリピの信徒の手紙を読みました。ここに出てくるエボディアとシンティケという二人の女性は教会の中でそれぞれに力ある働きをしていた人のようですが、二人は仲たがいしていたようです。「主において同じ思いを抱きなさい」とパウロは勧めました。心に思い描くことは人それぞれにあり、心を合わせることは時に難しいものですが、「主において」、すなわち主イエスが人と人とを結び合わせて下さるのです。イエスのみ心は、「互いに愛し合いなさい」と語られたイエスのみ言葉によって言い表されています。すべての人が共に主の救いにあずかり、心をひとつにして共に生きる者となることなのです。イエスは十字架の犠牲によってその愛を自ら表して下さったのです。それこそが世界にまことの平和をもたらす主のみ心なのです。

 昨日、京都戦争体験を語り継ぐ会の集いに行ってきました。今年は「三世代で語り合う」と題して二十代、四十代、八十代の三名の世代の異なる方々がそれぞれの立場で平和のための活動をなさっておられるお話を伺いました。若い方たちが戦争体験者の平和への思いをしっかりと受け継いでおられることを伺い、心強く思いました。沖縄戦遺骨収集活動の中で集められた遺品の展示がなされました。戦後七十四年、今も遺骨収集が終わっていないという事実が、戦争の残酷さ、空しさを物語っています。

 八月第一日曜日は平和聖日です。平和のために祈り、平和について考え、真の平和の実現のためにみんなで力を尽くしていくために、心をひとつにし、思いをひとつにして今日の礼拝を守りたいと思います。

2019年8月4日亀岡会堂

《説教要旨》「すべての民を弟子に」マタイによる福音書28章16節-20節

片岡広明牧師

 あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。         マタイ28章19―20節

 イエスは弟子たちに、「すべての民をわたしの弟子にしなさい」とお命じになりました。そのための方策をふたつ示されました。ひとつは父と子と聖霊の名によって洗礼を授けること、もうひとつはあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように教えることでした。これはイエスの「大宣教命令」と呼ばれます。こののち地上に誕生した教会は今日に至るまで、この主の大宣教命令に応えることを使命として世界の各地で奉仕してきたのです。洗礼を授けることは人を主イエスの弟子とすることのしるしです。そして教会はイエスのみ教えを2000年にわたって語り続け、伝え続け、守り続けてきたのです。人をイエスの弟子とする教会の働きは、世界中に広がっていきました。この宣教のみ業がめぐりめぐって世界の果てのわが日本にまで伝えられ、わたしたちの教会もその中で誕生したのです。

 先週は教会総会を行い、昨年度一年間の教会の歩みを振り返り、主の豊かな恵みをみんなで覚えて感謝いたしました。昨年度の年間聖句として、このマタイ28章の今日の箇所をわたしたちは昨年度一年間、心に刻み続けてまいりました。主イエスから託された宣教のみ業に共に勤しむわたしたちには、いつでもイエスが共にいて下さるのです。悩みの多いこの世にあって、わたしたちは教会のためにも、またそれぞれ個人のことにおいても困難を覚えることが多々ありますが、主イエスが共にいて下さることをしっかりと心に刻み、あらゆる困難を乗り越え、主の弟子の交わりを日本に、世界に、大きく広げ、主から託された宣教の業のため、なおいっそう祈りを熱くして励んでまいりたいと思います。

2019年6月2日 亀岡会堂

6/21(金)坊主牧師バー@園部会堂のお知らせ

今月21日金曜日に今年初の坊主牧師バーが開催されます。
坊主牧師バーでは園部会堂の宇田牧師がバーテンダーとなり、皆さんをおもてなしいたします。今まではCocoCan@新屋さんを会場にお借りしていましたが、今回は教会で行いますのでお間違いなく!前回の参加者は15名ほど、約半数が地域の方でした。クリスチャンでない方、教会に行ったことのない方、大歓迎です^^

時 間:6月21日(金)17:00~21:00
場 所:丹波新生教会園部会堂(園部町美園町3-13-2)
費 用:飲み放題1,000円/ソフトドリンク飲み放題500円、気まぐれ定食500円(数量限定)

これまでの様子はインスタグラムでご覧いただけますので、是非チェックしてみてください(園部会堂のインスタはこちら)。
初めて教会に来られる方にも、気軽に楽しんで頂けるイベントになれば幸いです。

《説教要旨》「平和があるように」ルカによる福音書24章36-43節

片岡広明牧師

 こういうことを話していると、イエス御自身が彼らの真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。 ルカ24:36

 5月5日は子どもの日、端午の節句です。子どもたちの健やかな成長を願い、鯉のぼりや鎧兜を飾ります。昔は子どもが元気に育って大人になる割合は今よりもずっと低く、幼児のうちに亡くなる子どもたちが大勢いました。世界には今でも乳幼児死亡率の高い国々がいくつもあります。子どもたちの健やかな成長はみんなの願いなのです。

 教会では子どもの日・花の日の礼拝を行い、子どもたちの成長のために祈ります。子どもたちの心と体、そして信仰が神様によって守り導かれますようにと祈ります。幼い子どもたちには、この先、いくつもの試練や困難が待ち受けていることでしょう。そうした困難を乗り越えて生きる力を神様が子どもたちに賜りますようにと祈ります。神様は小さく弱い者たちをみ心に留めて下さるのです。

 今日の聖書箇所は、イースターの日の夕べ、弟子たちが集まっているところによみがえられたイエスが現れ、「あなたがたに平和があるように」とおっしゃって、ご自身の復活を証しして下さった場面を伝えています。イエスは十字架に釘付けにされたその傷跡の残る手足を弟子たちにお示しになり、亡霊を見ているものと思って恐れる弟子たちに、紛れもなくわたしなのだと証しをなさり、主の復活を信じられないでいる弱い弟子たちを心熱く励まして下さったのでした。

 弟子たちの中には、朝早く主の墓に出かけて空になった主の墓を見た女性たちがおり、エマオ途上の道でイエスに出会った二人もいました。でもその者たちの証言を信じられなかった他の弟子たちは、信じたいけれども信じられないというもどかしさを抱えていました。そんな弱い弟子たちのために、イエスは彼らの前に来て下さり、彼らのために平和を祈って下さったのです。主イエスは弱い者たちを励まし、守り導いて下さいます。彼らが心を強くして主の御心に生きる者となることを心から願っておられます。幼い子どもたちもまた、小さく弱い存在です。主がわたしたちの幼い子どもたちをも守り導いて下さるように、子どもの日・花の日にあたり、祈りを合わせたいと思います。

2019年5月5日 亀岡会堂