1月から半年間に渡って召命について考えてきました。これまでの歩みを振り返ると、つくづく神さまの導きを感じます。また振り返る中で、繰り返し思い出した言葉がありました。まだ神学生の頃、自分は牧師になれるのか迷っていて、一人の牧師に尋ねたことがありました。「先生はどうして牧師になったのですか」と。するとその牧師は「分からない」と答えました。その言外の意味は「どうして牧師になったのかについて、自分の側にはいろんな理由がありもするけれど、それは自分の考えにすぎず、本当の理由は神さまにしか分からない」というものでした。
今は私も「分からない」と思っています。なぜ今の自分にこういう人生が与えられているのか、その理由は神さまだけがご存じなのでしょう。ただ、神さまはその道のりを温かい心で導いてくれていて、その一歩一歩を見守ってくれていると信頼しています。
召命 = 神に呼ばれ、役割を与えられること
いま、私たちそれぞれに与えられている役割を謙虚に受けとめ、役割を果たしていくことができますように。気負うことなく、素直に生きることでその役割を果たしていくことができますように。今日一日を与えられた役割に感謝して歩めますように。(完)
宇田慧吾牧師
2024年6月22日