《創立(合同)50周年記念礼拝にあたり》

宇田慧吾牧師

 50年前、丹波新生教会が生まれる時に2冊の書物がしたためられました。亀岡教会の43年の歩みを綴る『亀岡教会史』、丹波教会の85年の歩みを綴る『開拓者と使徒たち』です。両書には口丹波伝道に献げられたキリスト者たちの生き生きとしたドラマが記録されています。

 『亀岡教会史』のまえがきには村上英司牧師の言葉が記されています。「私はこの教会史を手にして、心から喜んでいます。それは亀岡教会の43年の終わりの書ではないからです。この教会史を読んで、早く誰かこのあとを書いて見せてくださいと、ねだりたい気持ちにかられるからです」。

 『開拓者と使徒たち』には青年たちが発行していた「あめんどう」という雑誌の文章が引用されています。「記念事業…それは休火山が、かつて活火山であった時代をなつかしむ哀れなとむらいの祭事としか映らないのです。…私たちにとって必要なのは、かつての活火山をなつかしむ事ではなく、…山をも動かす信仰の力でこの活火山に再び火を真赤な溶岩を噴出させることなのです」。この言葉に対し、著者であり役員であった船越基氏は次のように応えました。「人間は誰でも弱い者である。不完全なものなのだ。みんなそれぞれに十字架を負ってなやみながら人生行路を歩み続けているのである。自分の弱さを自覚し、神によりすがって生きて行くこと、そのことに人生の意義があると信じて私は明日も教会の門をくぐるであろう。わたしは死火山でありたくない」。 モーセは40年の旅路の終わりに、ネボ山の山頂から約束の土地を見渡した時、「あなたは、そこに渡って行くことはできない」と主に命じられ、そこで葬られ、旅の行く末を次の世代に託しました。私たちの信仰の先達もまた、旅の行く末を次の世代に託しました。今も天で旅の行く末を見守り、支えてくれていることでしょう。

2020年9月27日

10/18(日)tempesta in musica@園部会堂のお知らせ

地元のミュージシャン3名による定例コンサート「tempesta in musica(音楽の嵐)」が開催されます。

日 時:10月18日(日)14時30分~16時頃
会 場:丹波新生教会園部会堂
協力金:2000円
運 営:タンバミュージアムワークス

【申し込み先】090-8382-8274 明田氏
※完全予約制(定員25名)

亀岡在住の佐々木めぐみさん(ヴァイオリン)、美山在住の中野潔子さん(ヴィオラ・ダ・ガンバ)、園部在住の大城敦博さん(ヴァイパー)がバロック音楽~琉球音楽~オリジナル曲を演奏されます。コロナ対策で完全予約制となっていますが、ゆったりした空間で贅沢に生演奏を堪能できます。第一回の9月6日は満席完売でした。お申し込みはお早めにどうぞ♪

おやこでことえほん@園部会堂のお知らせ

”親子で楽しむ、絵本の読み聞かせとお箏演奏のコラボイベント”が園部会堂で開催されます♪

日程:9月26日(土)、10月28日(水)、11月28日(土)
時間:午前10時30分~11時30分
内容:絵本・箏・手遊び等を取り入れた親子で楽しむプログラム
定員:0歳~小学生10名、大人10名
会場:丹波新生教会園部会堂
後援:南丹市教育委員会、京都新聞

【申し込み先はこちら】ことえほん
※教会ではなく直接ことえほんさんへの申込になります!

【参加される方へお願い】
・可能な限り、マスクを着用してご来場ください。
・熱やせき、体調不良の方は参加を見合わせてください。
・人数制限を設けているため、事前予約制です。参加受付メールのない方のご参加はご遠慮下さい。
・やむを得ず公演を中止する場合がございます。その際にはお申込み時のメールにご連絡いたします。ご了承下さい。

他にも大津や京都市内でも開催されます。イベントの最新情報はことえほんのFacebookをご覧ください。

《説教要旨》「キリストに結ばれて、律法から解放される」 ローマの信徒への手紙 7章1-6節

宇田慧吾牧師

 この手紙を書いているパウロは、律法に従って生きるエリートでした。けれども、キリストに出会ってから、過去の自分を振り返ってみると、律法に「縛られていた」ことに気づきました。律法を貫徹しているという高慢な自尊心や他者に対する過度な裁きに縛られていたのでした。パウロはキリストとの出会いをきっかけに、その律法の縛りから解放されていきました。かつてのパウロは「正しく生きること」に一生懸命であった一方、自分の「正しくあれなさ」に向き合うことを見落としていたようです。パウロはキリストが十字架にかかった出来事と向き合う中で、神が自分の罪を赦し、その赦しのために十字架の痛みを引き受けてくれたことを知りました。その気づきをきっかけにパウロは律法に縛られる生き方から解放されていきました。

 その後の変化についてパウロは「死に至る実」を結ぶ生き方から「神に対して実を結ぶ」ように変えられたことを語っています。自分を正しい者として、自尊心を膨らませ、他者を厳しく裁いていくと、最後は自分の正しくなさに対する裁き、自己否定につながっていきます。逆に、自分の罪を受け入れ、忍耐や寛容や赦しをもって関わってくれている神や周囲の人の存在に目を開かれると、感謝の気持ちが生じてきます。

 特に想いをもって人と関わる時や自分と深く向き合う時には、相手を責める気持ちや「こんな自分ではいけない」という気持ちに縛られることがあります。その縛りからキリストは私たちを解放してくれます。

 2020年8月30日 亀岡会堂