丹波新生教会
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牧師からのご挨拶

現在、丹波新生教会では二人の牧師が牧会にあたっています。
片岡牧師が亀岡地区、宇田牧師が船南地区(園部・胡麻・須知)の担当です。
どちらの牧師ともお話しいただけます。
主に片岡牧師は亀岡会堂、宇田牧師は園部会堂におりますが、外出していることもありますので、 面談を希望される方は事前にご連絡ください。

片岡牧師

― 片岡 広明 牧師 ―

教会でおもしろいなあと思うことは、いろんな人と出会うことです。幼い子どもたちから高齢の方々まで年代は広く、それぞれの方々がいろんな違った働きをされていたり、いろんな考え方をもっておられたり、個性豊かな方々と出会います。教会に来ていなかったら、絶対に出会うことはなかったと思います。そんな出会いを神様が与えて下さったのです。 私自身、そんなに人付き合いがうまいわけではなく、かえって人見知りする質なのですが、教会でいろいろな人と出会ったことによって、自分の生きる世界が広がってきたと思います。以前いた教会では、パプアニューギニアから来ている人と友だちになりました。フランスから日本に働きに来ている人もいました。いろいろな悩みを抱えている人がいます。悩み苦しみをみんながそれぞれもちながら、互いのために神様に祈り、支え合うのです。 私自身も人に言えない悩みを「なぜですか」と神様に祈りの中で問いつつ、教会の仲間たちに励まされ支えられて歩んできました。教会につながる人々を結ぶ絆こそ、共にイエスを主と仰ぐ信仰なのです。

 私が牧師になった理由は、聖書の御言葉に心を引かれたからです。初めて聖書の言葉にふれたのは小学生の時、ラジオから流れてきた「心の貧しい人々は幸いである」というイエスの御言葉でした。さっぱり意味がわかりませんでした。でもなぜかとても心にしみ入るような思いがしました。その頃から「もっとキリスト教について知りたい」という思いを持ち続け、高校生の時に思い切って教会を訪ねました。それからはずっと教会につながり続けています。 私自身は知性も教養もなく、つまらない男なのですが、とうとう牧師にまでなってしまいました。私のことはともかく、聖書の中には珠玉のような心に触れる言葉が汲めどもつきぬ泉のようにあふれています。とりわけイエスの言葉、そして十字架の死にまで向かっていくイエスの愛と勇気に満ちた行動。死を越えて永遠の命を現わされたイエス。そんな聖書の世界に強く心を引かれ、そのことを思い続け、理解を深めていきたいと願ってきました。これからももてる限りの力を尽くして聖書の御言葉を伝えていきたいと願っています。 そして私などはとても遠く及ばないほどに聖書に親しみ、かつ日々イエスが現わされた愛の実践をしている同信の友が教会には大勢おられます。その人たちに教会でいつも学ばせていただけること、そしてわたしのようなこんなしょうもない男が牧師として働かせていただけることは、言葉にできない大きな喜びであり、神様の豊かな恵みです。感謝です。

宇田牧師

― 宇田 慧吾 牧師 ―

先程、よく教会に遊びに来るこどもと喧嘩してしまいまいした(´・ω・`) 今しんみりした気持ちでこの文章を書いています。

 小学校高学年にもなると、特別に親近感を感じるこどもと出会うことがあります。きっと似た者同士なのでしょう。不器用さとか、つい羽目を外して失敗する所とか、幼さと紙一重な純朴さとか、少年時代の自分が重なります。そういう子とは自然と年の差を越えて友達になります。
 さっき喧嘩してしまった彼も、僕にとってはそういう友達でした。4人で焼き芋をしていた時に、不意に彼を怒らせてしまいました。僕はなぜ彼が怒っているのか分からなくて、そのことも彼にとっては悲しかったのでしょう。「牧師は神の遣いなんだろ!そんなんでいいのか!」そうなじり「教会にはもう二度と来ません」と言って帰って行きました。帰ってすぐ何度か電話をかけてきて、最後は「新約聖書ポストに返しておきました」という電話でした…。
 お風呂に入って考えてみると、だんだんとどうして彼が怒ったのかが分かってくるのでした。そして悲しくなりました。それからお祈りしました。「神さま、ごめんなさい。また失敗しちゃいました。ゆるしてもらえますように。仲直りできますように…」。仲間の顔や言葉が心に浮かんできます。同じような失敗をして落ち込んでいた神父。「今は苦しくても、必ず良いことにつながっている」。だんだんと「まっ大丈夫か」と思えてきます。 悲しい気持ちの時、お祈りや教会の仲間の存在は、ぼくにとっていつも支えになっています。
 また、ふつうの(?)友達も支えです。「すみませ~ん、今日こどもと喧嘩しちゃって、明日は教会で待っていたいので、行けなくなりました」なんて電話で言うのを、そっかそっかぁと聞いてくれる友の存在もありがたいものです。
 そんな支えがありつつも、ひょっとしてもうゆるしてもらえない?という不安な気持ちもあったりして、もう会えないのかな・・・なんて考えると寂しくて涙が出ます。僕にとって彼は大事な友達だったんだなとしみじみ実感するのです。

 牧師の挨拶としては変な文章になってしまいました(^^; どうぞご堪忍を。牧師といってもまだ三十路の未熟者です。自分に与えられた出会いや経験を素直な気持ちで受け取りたいと思い、日々生きています。(翌朝、彼から電話があり無事に仲直りしました♪)