教会に通わずに聖書を学びたい方のために No.33

宇田慧吾牧師

《ローマの信徒への手紙16章1-24節》

「大人になると友達ができない」と言うことがあります。

もちろんそんなことはないのですが、確かに社会的立場や利害関係が生じてくると、子どもの頃のような純粋な友達というのは得にくくなっていく面があります。

仕事で責任を負うようになったり、家庭への責任を負うようになったりすると、忙しさゆえ気軽な友達付き合いを後回しにせざるを得ないということもあるかもしれません。

一方で、友達がいない人生というのは寂しいものだと思います。

仕事や家庭で逆境に遭ったとき、友達は支えになります。

歳をとっていけば仕事も子育ても手放し、夫婦関係や親子関係も変化していきます。そのような時、友達の存在は貴重になるでしょう。

一つの土地で、親族と近くで過ごせる時代ではなくなってきた分、友達の存在はその重要性を増しているかもしれません。

今日の聖書ではパウロが手紙の締めくくりに信仰の友の名を35人挙げています。

「フェベ、プリスカ、アキラ、エパイネト、アンドロニコ・・・」と言われても、私たちには無味乾燥な羅列でしかありません。

けれども、パウロにとってはその一人一人が思い出のつまった友でした。

フェベは私を援助し支えてくれた。プロスカとアキラは私を命がけで守ってくれた。エパイネトはアジア州で信仰をもった第一号だった。アンドロニコは私と一緒に投獄もされた。

また、35人の中には、外国人、奴隷、王の親族、高貴な身分の人など、多様な立場の人が含まれていたようです。

パウロが相手の社会的立場や身分を問わず、「人」として出会っていたことが読み取れます。

最近の老人ホームの話で「私は〇〇の会社で働いた」という入居前のキャリアを誇り続ける「王様」がいるという話がありました。

「人」そのものよりも、職業やステータスでお互いを見てしまうということはごく自然にあることですが、晩年に至るまで人とそのような出会い方をし続けるのはもったいないことであるように思います。

《ローマの信徒への手紙16章1-24節》

「大人になると友達ができない」と言うことがあります。

もちろんそんなことはないのですが、確かに社会的立場や利害関係が生じてくると、子どもの頃のような純粋な友達というのは得にくくなっていく面があります。

仕事で責任を負うようになったり、家庭への責任を負うようになったりすると、忙しさゆえ気軽な友達付き合いを後回しにせざるを得ないということもあるかもしれません。

一方で、友達がいない人生というのは寂しいものだと思います。

仕事や家庭で逆境に遭ったとき、友達は支えになります。

歳をとっていけば仕事も子育ても手放し、夫婦関係や親子関係も変化していきます。そのような時、友達の存在は貴重になるでしょう。

一つの土地で、親族と近くで過ごせる時代ではなくなってきた分、友達の存在はその重要性を増しているかもしれません。

今日の聖書ではパウロが手紙の締めくくりに信仰の友の名を35人挙げています。

「フェベ、プリスカ、アキラ、エパイネト、アンドロニコ・・・」と言われても、私たちには無味乾燥な羅列でしかありません。

けれども、パウロにとってはその一人一人が思い出のつまった友でした。

フェベは私を援助し支えてくれた。プロスカとアキラは私を命がけで守ってくれた。エパイネトはアジア州で信仰をもった第一号だった。アンドロニコは私と一緒に投獄もされた。

また、35人の中には、外国人、奴隷、王の親族、高貴な身分の人など、多様な立場の人が含まれていたようです。

パウロが相手の社会的立場や身分を問わず、「人」として出会っていたことが読み取れます。

最近の老人ホームの話で「私は〇〇の会社で働いた」という入居前のキャリアを誇り続ける「王様」がいるという話がありました。

「人」そのものよりも、職業やステータスでお互いを見てしまうということはごく自然にあることですが、晩年に至るまで人とそのような出会い方をし続けるのはもったいないことであるように思います。

利益を得たり、問題を解決したり、互いを向上させるためではなく、一緒に話し、笑い、食べ、共に悩み、支え合い、そばにいてくれる友の存在は人生を豊かにしてくれるものかと思います。

2020年9月6日