教会に通わずに聖書を学びたい方のために No.27

宇田慧吾牧師

今日は、ローマの信徒への手紙12章1-8節を読みます。

12:01こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。 12:02あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。 12:03わたしに与えられた恵みによって、あなたがた一人一人に言います。自分を過大に評価してはなりません。むしろ、神が各自に分け与えてくださった信仰の度合いに応じて慎み深く評価すべきです。 12:04というのは、わたしたちの一つの体は多くの部分から成り立っていても、すべての部分が同じ働きをしていないように、 12:05わたしたちも数は多いが、キリストに結ばれて一つの体を形づくっており、各自は互いに部分なのです。 12:06わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っていますから、預言の賜物を受けていれば、信仰に応じて預言し、 12:07奉仕の賜物を受けていれば、奉仕に専念しなさい。また、教える人は教えに、 12:08勧める人は勧めに精を出しなさい。施しをする人は惜しまず施し、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は快く行いなさい。

《メッセージ》

先週までは「なぜ人は神に見放されているような経験をするのか」が語られていました。

パウロはその答えとして、「人に支えられていること」を知るため。

「神に支えられていること」を知るため。

また、短期的には残念に思えるような経験でも、長い時間の中でその経験の意味が明らかになってくることがあって、そのような「神の大きな計画」に信頼することを勧めていました。

今回からは、そういった神の配慮を知った人として、「神にどう応えるか」というお勧めが語られています。

次の一言が今日のメッセージの急所です。

「自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい」

自分の存在そのものを、人生全体を、神さまに献げて生きていきましょうとパウロは誘っています。

「これこそ、あなたがたがなすべき礼拝です」

礼拝とは、神さまに自分を献げることです。

私の失敗経験ですが、教会に通い始めた頃、初めは全てが新鮮で感動ばかりでした。

ところが、1年程経つと、人間関係の問題や「教会なのにどうして?」といった疑問が増えてきて、教会に通うことに虚しさや疲れを感じるようになりました。

教会に行って「疲れている」「癒されない」これはどういうことだろうと悩みました。

今思うと、「神さまに自分を献げること」を知らなかったために必要以上に悩んだ経験でした。

教会には現実の社会と同じように、人間関係のトラブルや集団としての矛盾があります。

ただ、世の中の人の集まりと違うのは、教会は神さまに自分を献げる人の集まりという点です。

「私は自分を神さまに献げて生きる」という決意は、信仰生活の柱です。

パウロは「世に倣ってはなりません」とも勧めました。

世の中には様々なものに自分を捧げて生きる生き方があります。

名誉欲、競争心、貪欲、色欲など、自分の人生を捧げても虚しいことが明らかなものもあります。

一方、家族のため、子どものため、国のため、地域のため、仕事のためといった、決して間違ってはいないけれども、バランスを間違えると依存的になったり痛い目を見たりする対象もあります。

教会ですごされてきた信仰の先輩方の葬儀に参列すると、「神さまに自分を献げる生き方」が、人生の最期まで失われることのない確かな拠り所であることを教えられます。

パウロは「神さまに自分を献げる」中で、「心を新たにし、自分を変えていただくこと」を勧めています。

自分で自分を改めようとしてもうまくいかないことも多いのですが、不思議なことに、神さまに自分を献げて生きていく中で自ずから変えていただけることがあります。

「神さまに自分を献げて生きる」という姿勢は、神に応えて生きる人生の柱です。

ここまでが、今回のメッセージの本丸です。

パウロは注意深く、次の補足をしました。

「自分を過大に評価してはなりません」
「わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っています」

「神に自分を献げる」「神に自分を変えていただく」という話は、「あなたはもっと献げないとだめだ」「あなたのそこを変えないとだめだ」という話に変換されがちです。

体に様々な部分があって、それぞれの部分が異なる役割を担っているように、私たちお互いも様々な部分で異なる役割を担っているんですよとパウロは語りかけています。

パウロはこの話を他の教会に宛てた手紙にも書いています。

どの教会にも必要な諭しだったのでしょう。

私も「そうだな」と素直に受け取りつつ、自分の身近に関わっている人たちのことを思い浮かべると、体の一部として尊重しいたわることができるように、自分を変えていただきたいと思わされます。

「神さまに自分を献げて生きる」

今日はこの言葉を心に受け取りましょう。

2020年7月19日