教会に通わずに聖書を学びたい方のために No.24

宇田慧吾牧師

 今日は、ローマの信徒への手紙11章1-10節を読みます。

11:01では、尋ねよう。神は御自分の民を退けられたのであろうか。決してそうではない。わたしもイスラエル人で、アブラハムの子孫であり、ベニヤミン族の者です。 11:02神は、前もって知っておられた御自分の民を退けたりなさいませんでした。それとも、エリヤについて聖書に何と書いてあるか、あなたがたは知らないのですか。彼は、イスラエルを神にこう訴えています。 11:03「主よ、彼らはあなたの預言者たちを殺し、あなたの祭壇を壊しました。そして、わたしだけが残りましたが、彼らはわたしの命をねらっています。」 11:04しかし、神は彼に何と告げているか。「わたしは、バアルにひざまずかなかった七千人を自分のために残しておいた」と告げておられます。 11:05同じように、現に今も、恵みによって選ばれた者が残っています。 11:06もしそれが恵みによるとすれば、行いにはよりません。もしそうでなければ、恵みはもはや恵みではなくなります。 11:07では、どうなのか。イスラエルは求めているものを得ないで、選ばれた者がそれを得たのです。他の者はかたくなにされたのです。 11:08「神は、彼らに鈍い心、見えない目、聞こえない耳を与えられた、今日に至るまで」と書いてあるとおりです。 11:09ダビデもまた言っています。「彼らの食卓は、自分たちの罠となり、網となるように。つまずきとなり、罰となるように。 11:10彼らの目はくらんで見えなくなるように。彼らの背をいつも曲げておいてください。」

 

《メッセージ》

 信仰を持って生きる時には、深い孤独を感じることがあります。

 そういった時は霊的に成長するチャンスです。

 三つ、今日の聖書のポイントを見てみましょう。

 

① なぜ寂しさを経験するのか

 「神は御自分の民を退けられたのであろうか」という問いから話が始まります。

 昔、函館ラ・サール高校で修道士のブラザーに出会ったことをきっかけに、上智大学の神学部を受験した青年がいました。

 シスターは女性の修道士、ブラザーは男性の修道士ですね。

 彼にとって、ブラザーとの出会いは重要なもので、その出会いからキリスト教に関心を持ったそうです。

 神学部を志しましたが、結果は不合格でした。

 1年間、浪人生活をしました。その間、「神さまは自分を見てくれていないのだろうか」と感じたと話してくれました。

 彼は後に、別の大学の神学部に進むことになり、今も信仰を持って生きています。

 「神さまは自分を見てくれていないのだろうか」

 その寂しい気持ちのこもった言葉は印象深く私の心に残りました。

 「神は自分の民を退けたのか」という問いに対して、パウロは「決してそうではない」と答えています。

 では、そういう寂しさの経験はなんのためにあるのかということが11章全体のテーマになっています。

 

② ひとりぼっちにしない

 旧約聖書の登場人物、預言者エリヤは逆境に追い込まれた時、「わたしはひとりぼっちです」と神に訴えました。

 神の返答は「わたしは、バアルにひざまずかなかった七千人を自分のために残しておいた」でした。

 孤独を感じているエリヤに対して、神は残された仲間の存在を示唆しました。

 パウロは「同じように、現に今も」と言っています。

 現に今も、神さまは私たちに支え合う仲間を与えてくれています。

 「寂しさ」や「孤独」は、私たちが支え合う土台です。

 どんな人でも、人生の中で寂しさや孤独を経験するかと思いますが、マザー・テレサが亡くなられた後に公開された手紙の中で、彼女もまた孤独を抱えながら生きていたことは大きな話題となりました。

 「あなたはイエスの愛を受けている。わたしはといえば、むなしさと沈黙にさいなまれている。見ようとしても何も見えず、聞こうとしても何も聞こえない」

 「わたしの信仰はどこへ消えたのか。心の奥底には何もなく、むなしさと闇しか見あたらない。神よ、このえたいの知れない痛みがどれだけつらいことか」

 こういった心の声をマザー・テレサは親しい友人に手紙で書き送っていました。

 弱い部分も含めて、自分の心の内を分かち合える仲間の存在は尊いものです。

 

③ 神の最善の選択の内にある

 パウロは信仰に導かれたのは、自分の選択ではなく、神の選択によるという実感を持っていました。

 そのことから、信仰的に充実している時も、そうでない時も、すべての時が神の最善の選択の内にあることを信じていました。

 寂しさが支え合いにつながっているように、自分の目には良さが分からない出来事や状態もちゃんと良いことにつながっています。

 

《おまけ》

 お互いのどこが好きかという話になった時、「悩んでるところ」と言ってもらったことがありました。

 私はいつも悩んでいる人でした。

 大学時代には「宇田くんはいつも全世界の悩みを背負ったような顔をしているね」と言われたこともありました。

 そして、自分も自分のそんなところが嫌いではありません。

 同じように悩みがちな仲間とたくさん出会えましたので。

2020年6月28日