教会に通わずに聖書を学びたい方のために No.22

宇田慧吾牧師

今日は、ローマの信徒への手紙10章5-13節を読みます。

10:05モーセは、律法による義について、「掟を守る人は掟によって生きる」と記しています。 10:06しかし、信仰による義については、こう述べられています。「心の中で『だれが天に上るか』と言ってはならない。」これは、キリストを引き降ろすことにほかなりません。 10:07また、「『だれが底なしの淵に下るか』と言ってもならない。」これは、キリストを死者の中から引き上げることになります。 10:08では、何と言われているのだろうか。「御言葉はあなたの近くにあり、あなたの口、あなたの心にある。」これは、わたしたちが宣べ伝えている信仰の言葉なのです。

10:09口でイエスは主であると公に言い表し、心で神がイエスを死者の中から復活させられたと信じるなら、あなたは救われるからです。 10:10実に、人は心で信じて義とされ、口で公に言い表して救われるのです。

10:11聖書にも、「主を信じる者は、だれも失望することがない」と書いてあります。 10:12ユダヤ人とギリシア人の区別はなく、すべての人に同じ主がおられ、御自分を呼び求めるすべての人を豊かにお恵みになるからです。 10:13「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」のです。

①遠くに探しに行かなくていい

「自分探しの旅」という言葉は、一時ブームになりましたが、最近は揶揄されることも増えました。

旅に出たものの、帰還しない人も多いようだからでしょうか。

「救い」についても、遠くに探しに行く必要はないようです。

神さまのメッセージは「あなたの近くにあり、あなたの口、あなたの心にある」とのことです。

②「口 → 心?」「心 → 口?」

「口で…公に言い表し、心で…信じるなら、救われる」10:9

「心で信じて…、口で…公に言い表して救われる」10:10

順序が逆の言葉が並んでいます。

「どっちなの?」と思ってしまいますが、どっちとも言えないからこう書いているようです。

心の中で密かに思っているだけよりも、人前で話すことで、「自分はこう思っているんだな」と実感することがあります。

逆に、心の中で素直に思っているから、自然と言葉になるということもあります。

「救い」って何なんです?どういうことなんです?と質問されることがありますが、

こういう自然と言葉になる心持ちという風に言えるように思います。

要は、本当にそう思っている、心からそう思っているということです。

「救われた!」という分岐点になる経験を持っている人も持っていない人も教会にはいます。

ただ、共通しているのは、神への素直な感謝や信頼かと思います。

③だれでも救われる

聖書のメッセージはどんな人にでも届くものです。

「この人」には届くけど、「あの人」には届かないということはありません。

もちろん「こんな私」にも届きます。

「救い」を求める人は、どんな人でも聖書のメッセージを受け取ることができます。

2020年6月14日

《おまけ》

私は「遠くに探しに行く」「やたら決意する」「こんな自分ではいけない」というタイプの人間でした。

意図してそうしていたわけではないのですが。

だんだんと「大切なものはもうここにある」「素直な気持ちでOK」「こういう自分でOK」という私に変化してこれたのは、教会での出会いのおかげです。

一所懸命に道を探していた昔の自分には「がんばったね」と声をかけてあげたいです。そして、今の自分には「帰ってこれてよかったね」と言ってあげたいです。