教会に通わずに聖書を学びたい方のために No.18

宇田慧吾牧師

 今日は、ローマの信徒への手紙8章31-39節を読みます。

08:31では、これらのことについて何と言ったらよいだろうか。もし神がわたしたちの味方であるならば、だれがわたしたちに敵対できますか。 08:32わたしたちすべてのために、その御子をさえ惜しまず死に渡された方は、御子と一緒にすべてのものをわたしたちに賜らないはずがありましょうか。 08:33だれが神に選ばれた者たちを訴えるでしょう。人を義としてくださるのは神なのです。 08:34だれがわたしたちを罪に定めることができましょう。死んだ方、否、むしろ、復活させられた方であるキリスト・イエスが、神の右に座っていて、わたしたちのために執り成してくださるのです。 08:35だれが、キリストの愛からわたしたちを引き離すことができましょう。艱難か。苦しみか。迫害か。飢えか。裸か。危険か。剣か。
08:36「わたしたちは、あなたのために
   一日中死にさらされ、
   屠られる羊のように見られている」
と書いてあるとおりです。 08:37しかし、これらすべてのことにおいて、わたしたちは、わたしたちを愛してくださる方によって輝かしい勝利を収めています。 08:38わたしは確信しています。死も、命も、天使も、支配するものも、現在のものも、未来のものも、力あるものも、 08:39高い所にいるものも、低い所にいるものも、他のどんな被造物も、わたしたちの主キリスト・イエスによって示された神の愛から、わたしたちを引き離すことはできないのです。

 前回はパウロがうめくような苦しみを感じていたこと、その中で神さまの支えを受け取っていたことが語られていました。

 今回もその「支え」についてのお話です。

 キーワードは「味方」です。

 神さまはいつも味方でいてくれるという実感がパウロにはありました。

 いつも味方でいてくれる誰かの存在は支えになります。逆に、敵対し、和解できないでいる他者の存在は人の心を弱らせます。

 敵対関係についてパウロは三つの言葉を挙げています。

「訴える」「罪に定める」「愛から引き離す」

 どんな人にも欠点がありますが、そのウィークポイントを他者から指摘されたり、責められたりするのは苦しいものです。

 一方、神さまはそういった私たちの欠点を全て受けとめ、痛みを引き受けたうえで、味方でい続けてくれる方です。

 皆さんには「いつも味方でいてくれる誰か」がいるでしょうか?

 私は両親がそのような存在であったことに感謝しています。

 他にもたくさんの方に「いつも味方でいるお手本」を見せていただきました。

 そういった周囲の人たちの支えに感謝しています。

 それと同時に、心の中の全てを打ち明けることができる神さまが、いつも味方でいてくれることは大きな支えです。

2020年5月10日