教会に通わずに聖書を学びたい方のために No.2

宇田慧吾牧師

 どうもこんにちは。

 いかがおすごしでしょうか(^^)

 昨日は教会でヴァイパーという楽器のコンサートがありました。「ヴァイパー」ご存知ですか?ご存知でない方がほとんどかと思います。なんせ20年程前にアメリカで開発された楽器で、日本のヴァイパー専門奏者は1名しかいないそうです。

こんな楽器です↓ (奏者は大城敦博さん)

大城敦博さんソロライブ」記事はこちら

 「エレキヴァイオリン」とでも言ったところでしょうか。電気を使うことで、ヴァイオリンの高さからチェロまでの低さまで奏でられるという夢の楽器です。

 さて、今日は【ローマの信徒への手紙 1章8-17節】を読んでいきます。

 01:08まず初めに、イエス・キリストを通して、あなたがた一同についてわたしの神に感謝します。あなたがたの信仰が全世界に言い伝えられているからです。01:09わたしは、御子の福音を宣べ伝えながら心から神に仕えています。その神が証ししてくださることですが、わたしは、祈るときにはいつもあなたがたのことを思い起こし、01:10何とかしていつかは神の御心によってあなたがたのところへ行ける機会があるように、願っています。01:11あなたがたにぜひ会いたいのは、“霊”の賜物をいくらかでも分け与えて、力になりたいからです。01:12あなたがたのところで、あなたがたとわたしが互いに持っている信仰によって、励まし合いたいのです。01:13兄弟たち、ぜひ知ってもらいたい。ほかの異邦人のところと同じく、あなたがたのところでも何か実りを得たいと望んで、何回もそちらに行こうと企てながら、今日まで妨げられているのです。01:14わたしは、ギリシア人にも未開の人にも、知恵のある人にもない人にも、果たすべき責任があります。01:15それで、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を告げ知らせたいのです。

 01:16わたしは福音を恥としない。福音は、ユダヤ人をはじめ、ギリシア人にも、信じる者すべてに救いをもたらす神の力だからです。01:17福音には、神の義が啓示されていますが、それは、初めから終わりまで信仰を通して実現されるのです。「正しい者は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。

 印象的に感じたポイントを三つ挙げますね。

①「まず初めに、イエス・キリストを通して、あなたがた一同についてわたしの神に感謝します」(1:8)

 神への感謝からパウロは手紙を書き始めました。手紙の冒頭を相手への感謝で始めることは一般的なことだったようです。一方、相手ではなく神に対する感謝で始めるのは珍しいことだったようです。

 パウロにとってそこに教会があるという事実は嬉しいことだったでしょう。自分と同じように神に出会った人たちがそこにいるのです。

 そんなパウロの気持ちを考えると、私も教会にいるお一人お一人について神に感謝したいと思わされました。それぞれ神に出会い、導かれ、今ここにいて、お出会いできたことを嬉しく思います。

 家族についても同じことを思いました。人生を導かれて生きてきて、出会わされ、今一緒にいること。今日まで相手のことを神さまが導いてきてくれたことに感謝したいと思わされました。

 また、他者について神に感謝することは怒りの防波堤になることに気づきました。先日、ひょんなことから強い怒りを感じ、とても心が苦しくなる経験をしました。けれども、その相手について感謝することを思い浮かべるうちに、怒りより感謝が優ってきました。結果、怒りをそのままぶつけることもなく、自分の怒りの原因が相手ではなく自分の中にあることにも気づくことができました。

 怒りは時にコントロールが難しい感情ですが、感謝は怒りを操舵してくれます。

②「あなたがたとわたしが互いに持っている信仰によって、励まし合いたいのです」(1:12)

 「自分で自分を励ますことはできない。励ましには他者からの語りかけが必要である」

 そんな言葉があります。

 当たり前のことでも、人に言ってもらえると、励まされることってありますよね。

 また、そういう自分の心に配慮してくれる他者の存在そのものが支えになりますよね。

 教会の場合、同じ神さまに支えられて生きている仲間の存在がお互いの励ましになります。共に礼拝に集まること、一緒に賛美歌を歌うこと、一緒に祈ること、そういう仲間の存在は私にとっていつも励ましになっています。

③「わたしは福音を恥としない」(1:16)

 パウロは恥とは縁遠い人生でした。むしろたくさんの名誉を持っていました。けれども、キリスト者となり、自分がイエス・キリストに救われた経験を話すようになってからは、笑われたり、怒りを買ったり、理解されなかったり、たくさん恥をかきました。

 一方で、パウロの言葉に救われた人たちもたくさんいました。自分がイエス・キリストに救われたことを恥とせず、率直に経験したことを語ることで、助けられた人たちがいました。

 この前、教会の書棚を整理していたら、昭和26年の教会のジュニアキャンプの作文が出てきました。参加した小中学生が書いた作文なのですが、多くの子がキャンプファイヤーのことを書いていました。

 とにかく楽しいキャンプを過ごし、最後の夜のキャンプファイヤーで一人ずつ声に出してお祈りをしたそうです。ある子は「初めてお祈りをした。お祈りをするとなんとなく心が落ち着いた」と書いていました。また、ある子は「自分はクリスチャンホームで育ったけど、お祈りをしたことがなかった。これまでお祈りをしなかったことを恥ずかしく思った」などと書いていました。

 昭和26年の子どもたち、まじめですね(^^;

 教会にいつも遊びに来てる高校生と20代の青年とたき火をしてる時にそんな作文の話をしたら、「なんか、洗脳キャンプみたいですね」とのこと….!

 「確かにね」と笑いつつ、それからあれこれ話しているうちに、最後は「生きる意味とは・・・」みたいな話になりました(笑)

 伝わるか伝わらないかより、素直な自分を話せるか。

 自分が本当に大切だと思っていることを言葉にできるか。

 そのことの方がずっと大事なのかなと思います。

 私は神さまに出会って本当に幸せです。

 そんな素直な気持ちを、無理なく、自然に、表現しながら生きていきたいと思っています。

2020年1月12日