≪主の祈りの学び≫5「み国を来たらせたまえ」

宇田慧吾牧師

 同志社の学生さんたちと週に一度、読書会をしています。いつもは5人ほど集まるのですが、先日は夏休み中だからか、わたしともう一人しか集まりませんでした。その方と話しながら内心「今日は二人かぁ…」なんてしょげていたのですが、だんだんと深い話になり、最後には「二人で話せてよかった~~!!」という気持ちになりました。

 「せっかくこういう出会いを与えられたから、何かよい実りになるように形にしていきたいですね」と言おうと思っていたら、その方が先にそう言いました。気持ちが一つになる瞬間、この人と出会えてよかったと心から感じる時、いいですよね。

 「実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」ルカ17:21

 「神の国は言葉ではなく力にあるのですから」Ⅰコリ4:20

 キリストは「ほかの町にも神の国の福音を告げ知らせなければならない」(ルカ4:43)と言って、あちこちに足を運びました。キリストが来て、人々と出会い、福音を告げる場所は、たちまち「み国」となったことでしょう。

 キリスト者のいる場所、そこが「み国」とされていくように「み国を来たらせたまえ」と祈ります。そんな大層なことわたしにはできませんという声が聞こえてきそうですが、働きや存在感は小さくてもいいのです。むしろ小さい方がいいのです。

 「神の国は…からし種に似ている。人がこれを取って庭に蒔くと、
 成長して木になり、その枝には空の鳥が巣を作る」ルカ13:19

 「神の国は…パン種に似ている。女がこれを取って三サトンの粉に
 混ぜると、やがて全体が膨れる」ルカ13:21

 讃美歌第二編の人気ソングの一つに「ちいさなかごに」があります。小さなかごに花をいれて寂しい人に贈れば、花の香りが部屋に満ちて心を明るくするでしょうという歌ですが、サビは「愛のわざは小さくても 神の御手が働いて~♪」でした。小さなことでいいのです。「み国が来ますように」と祈りながら、小さな働きをささげましょう。